ポケットの中の金融政策
タイトルは適当です。※ご存知、ガンダムの映画から取りました。
一眼レフが欲しい
ある日、友人が持つ一眼レフカメラが羨ましくなり、どうやって金を貯めているのか聞きました。
「500円玉貯金なら一眼レフくらい楽勝だよ」
なるほど、そういう手があるのか。
早速100均にいって10万円が貯まる貯金箱を買いに行きました。
そして月日は流れ、、
3年。やっと満杯になりました。
え、長すぎね?
せめて一年くらいで貯まるもんかと思ってました。
友人曰く「半年で貯まるよ」と。
結局貯金箱があろうとなかろうとお金を貯める意思の問題だったようです。
数えてみよう
開封の儀です。
さて、500円玉がこれだけあると流石に壮観ですね。
10万円玉貯金箱は無理やり限界まで貯めると、12万くらいにすることが出来ます。
勿論限界まで挑戦しました。
とりあえず買うものは決まっていましたし、どれくらい溜まっているか予測はついていたので、特に感動はありませんでした。
寧ろ待たされた感が強くて、「もう二度とやらないだろうな」と思いました。
これを見ていてむくむくと興味が湧きました。
「....この中に一枚くらい価値あるのないのかな」
ググります。
少なくとも新500円玉に限っていえば、印字ズレなどがない限り、価値はあがらないようでした。残念。
特に価値が高い年度は昭和62年らしく、それは発行枚数が少ないことに起因するようで、その価値は1.5倍になるとか。
私の貯金箱の中身は殆ど新500円玉だったので(一枚だけ旧500円玉)、関係ないようです。
じゃあ片付けるかと思ったのですが、
「...三年かけてこんなもんとか、やっぱりつまらないな」
とよくわからない勿体無い心が残ります。
硬貨とにらめっこします。
「...そうだ、年度別でどう分布になるか調べてみるか」
GW予定がないからこそ出来る荒業です。
たまに「〜してみた」と調べる系の記事がありますが、あれは原稿料があるからこそ書き手にもモチベーションがあがります。
こんな一日のアクセス数が一桁のブログには全く労力が見合っていません。
「果てしなく無駄な作業だな」と一枚一枚年度をメモりつつ、手をプンプンと硬貨臭くさせて思いました。
統計のお勉強をしよう
これを思いついた時、私には確信がありました。
「もしかして、貯金箱の年度分布が発行部数に近似するんじゃね?」
正直こりゃ良いブログネタだわと思いました。
後に後悔します。
やめときゃよかった。超めんどかったよ。
ところで私は元々経済系の授業にはとんと興味がない学生でした。
統計の授業はすぐ逃げ出しましたし。
それでも無い知恵絞ってエクセルグラフ活用して頑張ってみます。
さて、では硬貨発行数に対し、必要となるサンプリング数はいくつになるのでしょうか。
私の貯金箱の枚数で十分足りるのか。
そんな私が常々テレビを見ていて疑問に思っていたことがあります。
"2000人も調査すればデータの信頼性は十分だ"
ご存知懐かしトリビアの泉。
番組で統計をする上で、法政大学の宮脇先生が必ず出てきます。
これいつも
「本当かな。仮に本当だとしても番組がサンプリング数の手間を減らす為にとってつけたように引用してるだけじゃないかな」
と子供心に疑っていました。
詳しく調べてみました。
"母集団が100人と1,000人の場合の標本数を、上記の式に入力して計算すると以下のようになる。すなわち、母集団が100人の場合は80人、母集団が1,000人の場合は278人となる。母集団の大きさが10倍になったからといって、標本数も比例するわけではないことがわかる。"
つまり、単純に2000集めればいいとかそういう話ではなく、全体母数に対し必要なサンプリング数は変わってしまうということのようです。
おそらく宮脇先生は日本の人口数からこの2000という数字を出したのではないかと思います。
試しに計算したら全然違いましたけど多分最大誤差、正規分布点、比率がおそらく私と違うのでしょう。
というわけで、平成十二年〜平成二十八年500円玉の年間発行数を調べました。
合計数は大凡4000億(392,339,200,000)枚でした。
さて、サンプリング数の話です。
引用したリンクから最大誤差は通常の0.05、正規分布率は1.96、母集団の比率は0.5、全て標準のものでしました。
この時点で「分数とかマジ勘弁」と思いました。
さて、必要なサンプリング数ですが、384.158867736063となりました。
つまり400枚近く必要とのことです。
ちなみにさっきの宮脇先生の実証も1億3千万人の人口に対して2000人のサンプリング数が出ると思ったのに、384.159962482787人でした。
なんと384とほぼ同一値。
母集団1億3千万人と4000億枚の違いなんてないも等しいんですかね。
絶対なんか計算間違えたと思うんですけど、無視!めんどい!
貯金箱は日本の金融市場(硬貨年間発行数)の縮図だった!?
分布図を出してみたら残念なことと、面白いことがわかりました。
まず残念なこと、合計数が251枚だったこと。
251枚じゃ必要となる400枚のサンプリング数に全然足りません。
しかし、もう貯めたくもないので比較します。
多少違う程度で落ち着くでしょう。
年度順に並べてみました。
こちらは平成12年から19年(1番左は平成2年)
こっちは平成20年から平成28年
面白いことに平成二十二年が断トツに多いことがわかりました。
数字はこちら。
年度 | 貯金箱 |
平成12年 | 16 |
平成13年 | 17 |
平成14年 | 13 |
平成15年 | 8 |
平成16年 | 3 |
平成17年 | 8 |
平成18年 | 10 |
平成19年 | 11 |
平成20年 | 26 |
平成21年 | 13 |
平成22年 | 45 |
平成23年 | 25 |
平成24年 | 21 |
平成25年 | 6 |
平成26年 | 16 |
平成27年 | 5 |
平成28年 | 8 |
合計数 | 251 |
新500円玉が開始された平成十二年から綺麗にそれぞれあります。
一つの貯金箱に経済が詰まっていると思うと、ワクワクしますね。
ところで、わかるからぶっちゃけますけど、大凡13万貯まりました。
皆さんには奢れないし、泥棒にもどうか入らないでください。これでも、つつましく暮らしています。
本当は平成29年の硬貨も貯金箱にはあったのですが、まだ今年発行している最中で数字が発表されていないようなのでやめました。
あと平成2年も1故混じってましたがサンプリング数が少なすぎるのでやめました。旧500円玉は250枚近くあっても1枚しかないとは、どこいっちゃったんでしょうね。
日銀が古いのは回収してるんですかね。
さて、何故平成二十二年(2012年)が多いのでしょう。
もうおわかりですね。これはリーマンショック(2011年)が影響していると思われます。
つまり、日銀が一時的に金融介入することで硬貨発行数を増やしたんですね。
すげぇな、実学だな、とこの時点でニマニマしていました。
さあ、比較してみましょう。
年度 | 貯金箱 | 年間発行数 |
平成12年 | 16 | 172,026,000 |
平成13年 | 17 | 8,024,000 |
平成14年 | 13 | 10,667,000 |
平成15年 | 8 | 98,406,000 |
平成16年 | 3 | 204,903,000 |
平成17年 | 8 | 300,029,000 |
平成18年 | 10 | 216,594,000 |
平成19年 | 11 | 129,904,000 |
平成20年 | 26 | 93,811,000 |
平成21年 | 13 | 115,003,000 |
平成22年 | 45 | 67,905,000 |
平成23年 | 25 | 178,936,000 |
平成24年 | 21 | 402,211,000 |
平成25年 | 6 | 608,892,000 |
平成26年 | 16 | 445,013,000 |
平成27年 | 5 | 410,004,000 |
平成28年 | 8 | 461,064,000 |
合計数 | 251 | 3,923,392,000 |
ん?
パーセンテージで割ります。
オレンジが年間発行数。
青が貯金箱の硬貨数。
あれ
平成22年って20年代で一番発行数少ないじゃん
どの年度も全然近くないし。
偉そうにブログなんて投稿するもんじゃないな、と思いました。
リーマンショックとか関係ねぇよ。何言ってんだお前。
リーマンショックは2011年じゃねえ、2008年だ。舐めてんのか
新聞読め新聞。
いと恥ずかし。
結果:(うちの)貯金箱は日本の金融の縮図などではありませんでした。
サンプリング数が少なかったことも原因だと思うのですが、にしてもなぜ我が家にだけ平成二十二年が集まったのか。
逆にすごい。なんだこのマイナー好きな貯金箱
※ちなみに一眼レフカメラは三年も経つと興味が失せていました。
グダグダだ
おわり
テニスラケットの個人輸入4
ガット工賃が気になりましたが無料でした。
Head Radical ProにだけX-One Biphase(1.24mm)を張りました。
初心者なのでどのガットがいいかはわかなかったので評判だけで決めました。
最後に全体の輸入の流れと費用をまとめたいと思います。
輸入の流れ
- 1日目目: 注文
- 2〜4日目: 英語メールで2回ほどやり取り
- 5日目: 発送
- 7日目: 成田到着
- 8日目: 配達予定の電話が来たが18時までに帰れなかった為翌日に依頼
- 9日目: 到着
合計9日かかりました。許容範囲内でした。
最短1週間も可能な気がします。
費用
1GBP(143.76円)でかなり高い時の決算になってしまいました。
Babolat Pure Drive Lite Tennis Racket (2014/15) 95.83 GBP each
Head Graphene XT Radical Pro (2015) 124.99 GBP each
Head Youtek Graphene Prestige REV Pro (2014) 103.32 GBP each
グリップテープ5本 14.28 GBP each
ガット 14.10 GBP each
-----------------------
SubTotal: 364.30 GBP
P&P Cost: 35.00 GBP (送料)
Tax: 0.00 GBP
-----------------------
Total: 399.30 GBP 57600
またTNTの受け取り時に3300円かかりました。
DT 関税・酒税等 ¥100
VT 輸入消費税・地方消費税・延滞税等 ¥2200
VHF 輸入関税消費税の請求事務手数料 ¥926
THF VHFなどの消費税 ¥74
----------------------
¥3300
個人輸入は得か否か
結果で言うと今回の輸入に8331円かかりました。
ラケット3本で割りたいと思います。
HEAD Radical Pro ¥17968 + 2923 = 20891 (最低価格 約¥20700)
HEAD Prestige revpro ¥14853 + 2923 = 17776 (最低価格 ¥19980)
Babolat Pure Drive Lite ¥13776 + 2923 = 16699 (最低価格 ¥17400)
これ以外にもガット・グリップ共に半額以下になっているので総額でいうとお得、という所でしょうか。
ただ大きな得ではありませんね。
大人数、例えば大学のサークルでみんなで注文など良いかもしれません。
あと為替が少し上がった時が決済のタイミングだったのは残念でしたがこんなものかもしれません。
結果買ったラケットについては毎日ニヤニヤしているので当人的には問題ないのだと思います。RADICALかっこいいよRADICAL。
想定外の支払ややり取りは発生しましたが許容範囲内だなと思ったら皆さんも是非やってみてください。
(終わり)
テニスラケットの個人輸入3
ラケットを購入する
いよいよStringers Worldでラケットの購入を行います。
[TENNIS] -> [Racket(Adult)]、欲しいラケットを選択します。
ちなみにアカウントは事前に作っておきます。
日本で登録しサインインするとVAT(付加価値税) 25ポンドが減額した額が表示されるからです。
日本アカウントと認識されるとこうです。
ガットをつけるかの確認があります。
ガットで表示されるのは以下です。
- FACTORY STRUNG...工場出荷の場合を指します。これが表示されると勝手にガットを張ってくれます。
- YOUR STRING OF CHOICE...好きなガットを購入し張ってくれます
他にもこんなのがあります。
- NO STRING...ガットなし
- BASIC STRING...500円ほどの安いガットが選択されます。
張り工賃は無料のようです。
Dampenerは振動止め、Overgripはグリップのことです。
注文画面
[Calulate delivery]で日本を選択します。£39.9になりました。約¥5000です。
支払方法はPaypalにします。
さて、Paypalでの支払いにした場合は為替事務手数料がかかります。
この手数料は意外とかかるらしいので、クレジットカードによる為替手数料だけに抑えた方が金額を抑えられます。
Paypalでの支払いでは[通貨換算オプション]で為替通り、つまりポンドなら円に変えずにポンドでそのまま支払いをする設定にしておけば手数料を払う必要がありません。
Paypalでの詳しい設定はこちらをどうぞ。
問い合わせメールが来た
システムによる自動メールでなく、サイトスタッフから英語メールで確認が入ることがあるようです。
これが嫌な方は個人輸入は勧めませんが自分も英語は大したことないので中高と英語を一応やってきた方は大丈夫だと思います。
自分の場合は希望のガット張り上げを依頼しましたが、「3本ラケットを購入した所システムではどのラケットにガットを張ればいいのかわからないから教えてほしい」という確認でした。
ガットを張る、という英語がわからず一瞬困りましたが、
「I ordered 'Head radical pro (2015)' racket with x-one bi-phase.(私はHeadのラケットにx-one ガット付きで注文した)」で乗り切りました。
変に考えず単語だけでも良いと思います。
あと気になったので「他のラケットは工場出荷のガットが張ってあるか」と聞きました。こんなのは余裕があったらでいいと思います。
その後、「工場出荷でガットを張った」「出荷は明日になるけどごめんね」というメールが来ました。全然いいよ。
出荷
TNTという国際宅急便が使われました。
クロネコなどと同じようにTNTでは出荷の足取りを確認できます。
iPhoneアプリも出ていたのでそちらを使いました。
アプリで届く日も大体知ることができました。
受け取り
日本のTNTから電話が来ました。日本語です。
ちゃんと住所をつけたはずでしたが、「住所がよくわからない」との電話でした。
住所と、折角なので配送希望日と時間を伝えました。
TNTの配送は18時までだそうです。
宅配ボックスでお願いしたかったのですが、今回関税が発生したので直接受け取りでその際に関税の支払って欲しい旨を貰いました。
関税は税関で発生して輸送業者が建て替えている?ので、Paypalでは一括で払えないんですね。
届きました。
ちなみに梱包はこんな感じです。
ラケットには薄いプチプチ一枚、ビニールが少しの梱包しかありません。
Babolarはケースだからか中のプチプチもありませんでした。
ただ商品には問題ないようです。
Headのラケット2本です。とても格好良いと思います。
Babolarは会社の後輩のです。
ガットを頼むつもりがグリップテープを5本注文する謎事態になりました。
深夜に酔っ払ってする注文は危険ですね。
次回は諸々の金額やらをお伝えします。
(そろそろ終わります)
テニスラケットの個人輸入2
個人輸入をする場合、日本の通販と違って以下の点に注意する必要があります。
- 英語
- 商品が破損、届かなかった場合の対策
- 為替の変動
- 送料について
- 手数料について
英語について
テニスをされている方であれば、欲しいラケットの名前をそのまま検索キーワードに入れれば購入できてしまうのでほぼ弊害はありません。
ただ英語で問い合わせを受ける可能性はあります。今回実際にありました。
商品が破損、届かなかった場合の対策
英語のやり取りに自信がない方は多いと思いますのでこれはテニスに関係なく、輸入をする場合はPaypalを使用することをオススメします。
Paypalは多少の手数料は引かれるものの商品に配達不備があった場合はPaypalに連絡すれば補償してもらえるようです。
ラケットに保証はつかなくても初期不良は回避できる算段というわけです。
為替の変動
円安の場合が個人輸入の必須事項ですが、問題は決済時の為替の瞬間は自分では選べないことです。
これも幸い日単位であればPaypalで解決出来ます。
Paypal決済の場合には、支払日の為替レート(購入した日)を使用するからです。
送料について
日本への送料は今回£39.9かかりました。
つまり1回につき¥5000弱かかりますので大量に購入した方がお得です。
yahooオークション等の出品者はあえて大量に購入している節があります。そうすれば一本あたりの送料単価は大したものではありません。
自分も一括大量購入を検討しましたが、部屋がそう広くないので止めました。
でもこれでもかというくらいテニスグッズに囲まれた部屋も一度見てみたい気もしますね。
友人などと一緒に購入がオススメです。
今回はガットとラケット合わせて3名で購入しました。
なので送料は単純に3分割、1500円程度です。
税金について
輸入をする際注意するのがVAT(付加価値税)と関税です。
VATはEU内で適用されるので日本に送る場合は免税されるので気にしなくて良いです。
Stringers Worldではアカウントを日本にして作成すると自動的にVATが引かれた金額になります。
また関税はテニスラケットにはかかりません。
関税はその国固有の特産品にかかる一方テニスラケットは全世界共通なのでかからないんですね。
ただアパレルなどは国別展開があるので関税がかかるようです。
テニスガットは関税がかかります。といっても数百円もかかりません。
ガットもラケットと同じく関税がかからないものと思っていましたが、違ったようです。
ガットは通常3000円のものが1000円だったりと半額以下なのでそれでも十分安いのですけどね。
グリップテープも同じです。
ただ、今回は消費税、地方消費税、輸入手数料がかかったのが予想外でした。
これについてはまた詳しく取り上げます。
次回は実際に購入してみようと思います。
ちなみに欲しいラケットはこちら。
HEADのRADICAL2016年モデルです。つまり最新モデルです。
さて最低価格¥21000(送料込み)を下回れるでしょうか。
こちらのお店は保証なしですが十分安いです。こちらで買うのも全然アリでしたが欲しいグリップサイズが購入時に置いてなかったので今回は輸入に頼ります。
(続か なくない)
テニスラケットの個人輸入1
テニスラケットが欲しくなる
Baby stepの漫画がkindleで1~3巻が無料だったので読み直した。
ちょうど主人公が初心者で自分の実力レベルと同じの頃だったのでなんだかムクムクとテニス熱が再開してきました。単純ですね。
ミーハーというのは玄人に嫌われますが、Pokemon GO然り一番お手軽な楽しみ方だと思います。
折角始めるなら楽しめなきゃ仕方ないと思います。
ちなみに自分はHeadブランドが好きなのでグッズを買うのに無常の喜びを感じるのです。
テニスを初めて早三年。ラケットをもっていなかったのでテニス熱もボーナスも出たので、この機会に買うことにしました。
(それまでは全部スクールの貸しラケットを使ってたドケチっぷりでした)
国内でテニスラケットを買う手段
大きく分けて3つあります。
- 店頭購入(¥25000~35000)
- ◯:近所で買えば店員さんがアフターフォローしてくれやすい。保証付き
☓:値段が定価近い
- ネット通販(¥15000~25000)
◯:結構安い。
☓:保証がつかない場合も多々。アフターフォローは遠隔地の可能性が高い。
- ネットオークション(¥10000~15000)
◯:安い
☓:新品、美品、中古と入り乱れる。保証はほぼない。
自分は家電をよく買うのでメーカー&店舗保証が当然なのですが、テニスラケットはメーカー保証ではなく店舗保証しかないです。
またテニスラケットはガットを張ったりしないといけないので自然と店舗との繋がりは必要です。
この中ではネットオークションが何故一番安いかというと出品者の大半は中古、もしくは新品のラケットを海外から個人輸入してるからです。
つまり第四の選択肢、個人輸入があるのです。
- 個人輸入(¥12000~19000)
◯:確実に新品を定価の半額以下で購入可能。
☓:保証はつかない。英語でメールのやり取りをする場合がある。
保証はつかないにしても新品が欲しかったので個人輸入にしました。
何よりガット/グリップも日本の定価の半額というのが大きかったと思います。
海外のテニス商品の相場は日本の半額程度なので、何故日本だけ孤立した価格なのか謎です。
調べた所、世界相場と同じなのはテニスボールだけでした。
あとウェアやバッグは定価はそう変わらないのですが、大胆にセールする商品が多くあるので日本よりお得な場合があります。
テニス商品の海外サイト
よく取り上げられるのは以下のサイトです。
これは多くの先人が購入されていることで有名なので、多少困っても情報があるので安心です。
あと並行輸入品を取り扱うお店もあります。ラケット1本程度なら送料を考えるとこちらの方が良いですね。
ただ取り扱い点数はあまり多くありません。
ただ今回はイギリスのEU脱退(2016年7月?)を受けて英ポンド安でしたので、イギリスのサイトを使用しました。
通常の英ポンドだとかなり割高なので日本の通販とあまり変わらず、送料がつく分損すると思います。
ちなみに参考にしたソースはこちらです。
次回は実際に購入してみようと思います。
(続く)
(僕独8) 帰れるかもしれない 〜All's Well That Ends Well.〜
もう十分かもしれない
スイス到着3日目は昼まで軽くスキーをして過ごした。これで今回の旅は終わることにした。
あとはスイス バーゼルへ戻り、夜には寝台列車に乗ればドイツを越えてアムステルダムに到着する。
バーゼルへ移動。
グリンデルワルドに来て本当に良かった。また来たい。またくたくたになるまでスキーをしたい。
バーゼル到着。
余裕を持ったとはいえ夜まで時間があるので折角なのでバーゼルで観光することにした。
バーゼルはただアムステルダムに乗り換えの為だけに来たのだがちょっとわくわくしていた。
というのもここはなんと歩いてフランス、ドイツにいけてしまう国境付近の街なのだ。北に大きな河が流れており河を挟んでフランス、ドイツに橋で渡れたりしてしまうというわけだ。
こんなお手軽に国を渡れる感覚は日本にはないのでわくわくしてしまった。
まずは三カ国の中心へ。バーゼル側から河の中心まで細長く道が続いており、行き止まりにちょうど三国の中心の柱が立っている。河の真ん中でいきどまりなので実際はここからお手軽にドイツに行ったり、フランスに行ったりはできないらしい。
なので柱の周りをくるっと周ることでドイツ・フランス・スイス一周ができてしまうというわけ。5秒で周れてお手軽だ。だが周辺に何もないのでつまらない。つまらないが妙に感動があった。
ドイツへ行こう
次に行きたかったドイツへ。この旅の目的の一つ、『ドイツでビールとソーセージを食べる』を叶えるためだ。
歩いてドイツに行く。特に止められず素通りした。
ドイツに着いたものの街の雰囲気はバーゼルとあまり変わらなかった。
そこらのカフェでとりあえず目的のビールとソーセージを頼み満足。
デパートに足を運びおもちゃ売り場を物色。
なぜそんなことをするかというと、ドイツはボードゲームやカードゲームが盛んなおもちゃ大国ということを知っていたからだ。独創的なカードゲームがいろいろ作られている。最近流行っているゴキブリポーカーや人狼ゲームもドイツ発。お土産にMonopolyのカードゲームを1セット買った。
ドイツを2時間ほど堪能し橋をわたってフランスへ。
フランスは逆に住宅地ばかりで何もなかった。ワインがどうしても買いたかったのだが全く見つからず、日が暮れてからようやくスーパーを見つけワインを購入できた。
正直なんの意味もない行為だが適当に1000円で買ったワインが日本で3000円だったのでまあ得だった。ここでは水のようにワインを飲む分、本当に安い。
アムステルダムに戻ろう
そろそろバーゼルに戻らないといけないが腹が減った。
日本では生肉のタルタルステーキはめったに食べられないので駅舎内で適当に入ったバーでタルタルステーキを注文。
ゆっけが載った生肉なのだがこれがトロッとしていて日本人好み。
予想通り美味かった。
ドイツ・フランスとお土産を買ったので、最後にスイス土産にVictrinoxのナイフが欲しくなった。昼に一旦覗いた店に行くと閉店準備をしていた。
扉を叩くと若いお姉さんが『帰って』と手振りする。
「I will go back Japan today!!」
僕強い。必死の叫び。
このくらいではもうへこたれなくなっていた。
お姉さんは悩みながらもため息をつきながら入れて買わせてくれた。迷惑な行為だけど言うだけ言うのが大事だなと改めて学んだ。
寝台列車に乗り込むとスペインとは違いコンパートメントでティーンエイジャーの女の子達が数人キャッキャしながら乗り込んできた。僕を見て迷惑そうな目になる。
居心地が悪くなってきたのでウインドブレーカーを頭から被り寝た。余計に怪しかったと思う。
日本に帰ろう
モスクワ行きの飛行機の隣は日本人女性だったがやけに肩などを自分から離すので、寝台列車の件もあった分傷ついたのだが、モスクワに入ってからトイレに入ると理由がわかった。
顔が日焼けでボロボロになっていたのだ、皮がサングラスのあとでくっきりと剥がれかかっており、ひと目見たらミイラだ。道理で出国の際あんなにジロジロ見られたと思った。
成田に向かう飛行機の途中、今回の旅を振り返ったら全てが鮮明だったことに驚いた。忘れた瞬間がまったくないのだ。そして情けないアムステルダムから笑顔になれたパリ、喧嘩したスペイン、一人で行くと決めたロンドン、出会いがあったスイス、どれも忘れようがなかった。
この旅で自分もだいぶ図太くなったなと思う。元々が心配性なコミュ障だったので、人間的成長ってこういうものかもしれない。実際社会人になってから役に立っている気がする。スイスでスキーをした話もずっと自慢してる。
一歩踏み出さないとやっぱり変わらないんだなと思った。
しかし、安堵のあまり頭がくらくらした。本当に移動ばかりだったし、旅の5割は移動していたイメージだ。
電車にはこれでもかというくらい乗ったが、ゆったりした覚えはない。目的を結果的に果たしたのか怪しいところだ。
とはいえ、
成田には無事着いた。心配していた親も迎えに来てくれた。
部屋の椅子にどっかり座って大きくため息。
「...生きて帰ってこれて良かった」
夜は醤油を舐めた。夢でも電車に乗っていた。
(やっと終わった)
(僕独7) 旅っぽくなったかもしれない〜The devil is not so black as he is painted.〜
スイスに行こう
当初の予定の後半のスキーについては何も計画が立てていなかった。
インターネットでスイスのスキー場を調べると、日本人観光客がよく行く場所があるという。その名もグリンデルワルド。アイガーと呼ばれるマッターホルン北壁同様にスイスを代表するさん大北壁が目の前にある街だ。
日本語観光案内所があるらしく日本人がよく訪れるらしい。これなら海外慣れしていない自分でも何とかなるかもしれない。
Skypeで観光案内所に電話をして当日スキーできるかや宿泊について質問した。最初にスイス語が出てきたらどうしようかと思ったか日本語で「はい、グリンデルワルド観光案内所です」と出たのでホッとした。
ユースホステルの予約も済ませ、ホテルの近くの駅窓口でグリンデルワルドまでの切符を購入する。何度も列車移動してわかったのは経路がわからない場合はさっさと窓口に聞いてしまうことだ。無愛想なりいろんな対応があるが乗り換えまで詳しく教えてくれる。
グリンデルワルドに行くまでは3回ほど乗り換えなくてはならなかったが、でっぷり太った駅員が優しく教えてくれた。
先輩にこれまでの礼と別れを告げ、まずはロンドン駅からパリ北駅へ移動する。イギリスとフランスの間の海は海底トンネルで繋がれているので飛行機に乗らずとも電車移動が可能なのだ。すごいとは思いませんか。
旅の不安はもう少なくなったのでぐっすり眠れた。途中隣に座った男性がにこやかに、どこを旅してるのか聞いてきた。オランダ、フランス、スペイン、イギリスと周ってこれからスイスに行ってスキーをするんだ、と得意げに答えると驚きながらナイスと言ってくれた。パリ北駅につくとHave a nice day、you tooとお互いに言い交わし別れた。
ああ!なんか旅っぽいよこれ!いい感じじゃない!こういう外国人との触れ合いに超憧れてた。
13時頃、パリ北駅でバゲットサンドを購入。フランスもイギリスもバゲットサンドが駅の売店でよく売られてる。一緒に果物も売っているのでなんだかオシャレだ。バゲットなので一本が一本が大きいのだが女性も平気で買っていく。こういうのが日本にあったらいいのにな。
さて、この後何回か乗り換えをし夜8時頃にグリンデルワルドに到着した。
グリンデルワルドはアイガーがあるだけあってかなり寒かった。ただ道路には雪にはほとんどなく、雪の多くは山にあった。
街というより村で駅もローカルな感じだった。山中の街だけあって街灯はあるもののかなり暗かった。
観光案内所は当然のごとく閉まっていた。明日向かおう。
ユースホステルにはすぐ辿りつけた。最初の村という印象はあながち間違っておらず主要な場所は東京ドームほどもないイメージだ。
ユースホステルというと男女別のドミトリースタイル(相部屋)が基本だが、部屋に入ると何故か滅茶苦茶背が高いエヴェンゲリオンみたいなおばさんがいた。190くらいありそうだ。
ちょっとビビったが別に風呂も一緒でないし、おばさんなのでまあ海外なんてそんなもんかと思ってすぐにスルーした。だいぶ物事に耐性がついてきた。
二段ベッドが2つに普通のベッドが2つ、つまり6人部屋だった。部屋にはおばさんしかいなかったが、他にも3つほど荷物がある。どこかに行っているらしい。
ひとまず外に出て夕飯を食べた。カツレツと日本語で書いてあったのには驚いた。ポテトとカツレツと奮発してワインを飲んだ所3000円もした。スイスは物価が高いことを実感した。
よく海外では味噌汁や米が食べたくなるというが自分は全くそれを思わなかったので案外海外も向いているかもなと思った。パンでも肉でも何度続いても全然平気だ。もし海外で暮らし始めたら悩み始めるのは食な気がする。そういう意味ではいけるじゃんおれ!と思った。
ただ何故か醤油を舐めたいと思った。別に醤油が好きなわけではないのに。そこは日本人たる所以なのかもしれない。
夕飯を終えシャワールームで汗を流し、リラックスしながら部屋に入る。
ティーンエイジャーのスイスっ子3人が爆笑しながら、爆音で音楽を流していた。
扉を閉める。
待って、落ち着くのよ、かわいいものじゃない。日本で言えばただの高校生が爆音で音楽流して部屋にいたらと思えばいいじゃない、それだったら、それだったら、怖いわ。
深呼吸してもう一度部屋に入る。今度は爆音が蚊の音かと思うくらい下げて、僕を見てひそひそ言っている。
事前にネットで確認していたのだがスイスは日本となんとなく文化が違うらしい。治安も日本と同じくらいよく、我関せずというか空気を読む感じがちょっとあるらしい。そんなわけでビビりながら彼らにそこはかとなく親近感を持ってしまった。
翌日は眩しいくらいな快晴でアイガーの壁は雪で輝いていた。起きるとスイスっ子達はもうスキーにでかけてしまっていた。
ユースホステルだったが朝食付きにしたので、ブルーベリージャムをヨーグルトにいれたものと、チーズとジャムをたっぷりつけたパンを堪能した。酪農大国だけあって美味い。
なんだか優雅な気持ちになってきた。最初のオランダが嘘みたいだ。
スキーをしよう
日本語観光案内所に行くと普通に日本人の方が出てきて、スキーがしたいことを伝えると親切にどこでウェアのレンタルができるか教えてくれた。リフト券は案内所で購入できた。
ウェアとスキー板を借りにいくと慣れた対応でサイズを測ってくれた。よくみるとグリンデルワルドのあちこちに日本語があるのだ。相当日本人観光客が多いことがわかる。
ここで一つ問題が起きたのだがクレジットカードが使えなくなった。複数の国をまたぐ時はクレジットカードは本当に便利でいちいち両替をしなくて済むのは助かった。5カ国を跨ぐとなるともちろんその国ごとの両替は多少はするが頻繁にしなく良いからだ。
仕方なく現金を使ったが理由はどうやら限度額を超えてしまったかららしい。元々学生カードで限度額は20万程度しかないのだが、この旅では既にそれだけ使ったことになる。
航空券を合わせると40万以上使っている。今回のお金の大半は親に借りたのだがこれには今でも感謝している。社会人になってからもボーナスが入る度に少しずつ返している。
リフトまで歩いたがこの道程が坂道なので結構キツい。板を抱えながら歩くとじっとり汗をかいた。その横を悠々とリフト行きの路線バスが通りすぎてアンニュイな気持ちになった。
ゴンドラに乗り込み15分ほどかけて中腹まで移動。ここから様々なスキーリフトに乗ることになる。着いて目に見えたのは文字通り白銀に輝く世界だった。
日本のスキー場はどこも混んでいるし、いかにもコースといった所が続いている。雪質も吹雪かなければ滑りづらいし、天気が良いとアイスバーンがほとんどだ。
僕が当初の予定からスキーを組み込んだのは何か旅をした後に他の人が中々しない経験をしたかったからだ。
海外でスキーって響きに憧れてた。その憧れがここにある。日本のようなあからさまなコースではなく大自然を滑るのだという感覚。最早どこまでが滑っていいところなのかわからないくらいだ。それだけに圧倒的な広さだった。
スキーは元々小学生の頃からやっていて日本の上級者コースもおぼつかないながらも滑れる腕前だったので多少の自信があった。これは凄い経験になる、その確信をくれるほどアイガーの山々は眩しかった。
さて、雪質やコースについて伝えたが海外のスキーが日本と違う所をお伝えしたい。
まず滑走距離、これがとてつもなく長い。まだ終わらないの?というくらい長いので足がつかれるくらいだ。100m置きに救難小屋があることを言えばその広大さを伝えられるだろうか。つまり遭難したらそれだけやばいくらいに広いのだ。
そして標高が高すぎるせいかわからないが物凄く暑い。雲という雲がなくゴーグルやサングラスがなければ目が焼けてしまう。それもあってびっくりするくらい汗をかいてまた喉が乾くことがしばしばあった。日本のスキー場でカラカラになるほど喉が渇いたことがないのでぜいぜい言いながら水を買った時の旨さは格別だった。
スキーヤー達も外で昼ごはんを食べているのが普通だった、それくらい暖かく暑い。
(ハンモックチェアーに揺られながらアイガーの山々をのんびり眺めて休憩)
危機管理やウインタースポーツの意識も違った。まずスノボーダーはほとんどいなかった。これは海外だと珍しくないのだがある意味当然とも言える。これだけ広大なスキー場だといちいちプロテクターをはずさないといけないボードだと移動がとてつもなく大変になる。板をいちいち外さず移動しやすいスキーになるのも当然と言える。僕はスキーもボードも両方滑れるが個人的には滑っている時もスキーの方が安全な気がする。小回りがきくぶん障害物も色々と対処しやすいのだ。
また帽子をつけている人も一人もおらず皆がヘルメットだった。それだけ危険があるスポーツなのだと実感したが、そりゃこんだけ広くてスピードを出してガンガン滑ってたら必要になるのも当然である。ちなみに僕はゴーグルは持参できなかったのでサングラスで滑っていたがサングラスも1割り程度で皆がゴーグルだった。これもまぁ当然といえば当然である。
そして小学生くらいのスイスっ子達の滑りが早いこと早いこと。僕はそもそも滑りが早い方ではないのだが10人くらいの子どもたちに立て続けに抜かされたときは流石に悔しくなった。
10分ほど追いかけたが追いつけなかった。10分猛スピードで滑ってふもとに着かない広さにもびっくりだが。
とにかく楽しかった。
旅の出逢いをしよう
ユースホステルに戻ると日本人の旅行者がいた。
聞くと大学2年生の娘さんとお母さん二人で旅行中だという。
これまでのお互いの旅の話をしながら談笑した。二人も英語もできないながらもお母さんの肝っ玉の太さで色々乗り越えてきたらしい。こういう旅もいいかもしれないなと思った。
話のお礼ではないが持っていた芋けんぴをあげた。僕の母に持たされたものだが正直食べる場面が全くなかったので女性二人にあげたほうが有意義だと思った。
実際大いに喜んでくれてお返しにお菓子を大量にくれそうになったので丁重にお断りした。これ以上荷物を増やしたくないのもあったし...。代わりにあめ玉をいくつか貰った。なんだか親戚のおばちゃんと話てる気分になった。
(夕飯はチーズフォンデュ。味がない)
二人はスキーはせずにアイガー頂上のフィルスト展望台に行くという。これはリフト券だけではいけず、往復料金だけで7,8000円もしたので自分は諦めたのだった。ちなみに二人には翌日スキーの途中でたまたま出会った。アイガーの山々を登るにはゴンドラ以外にも列車の手段があるので途中までフィルスト展望台行きの列車で登ったのだった。
にこやかに談笑途中に車掌がおまえ金払ってないだろ、あとで払えよと言われてびっくりして途中のスキーコース頂上駅で急いで二人に別れを告げて降りて逃げた。結果をいうと車掌は展望台に行くと思い込んで料金をはらえと言っていたのだが、慌てたあまり停車駅のレストハウスの奥に逃げ込んでしまった。くつろいでた人が何事かと見ていたので恥ずかしかった。
またユースホステルではもう一人忘れられない出会いがあった。二日目から泊まり始めたスイス人である。
彼の名前はセント~なんたらと確か15文字以上もありやたらと長く、短く何と呼べばいいと聞くとそのまま呼べと言ってきた。じゃあ代わりに僕はヒロでいい、ショートだろ?とドヤっというと二人で爆笑した。
彼は陽気な40代くらいの男性でにこやかにかなりの勢いで僕に話しかけてきた。どこから来たんだ、ここで何をしているんだい、とか。
なぜこの彼が忘れられないかというとグリンデルワルドに来たのが自分の死に場所を見つけるためだと言い出したからだ。
驚いた僕に彼は続けた。僕はこれまでいろんな国や場所で仕事とかいろんな人にあってきた、でもやっぱり腰を落ち着けて故郷と呼べる場所をつくりたい。そしてそこで死ぬまで暮らしたい、そんな安住の土地を探しているんだ、そんなことを言ったのだ。
自分が将来死にたい場所なんて考えたことがなかった。自分はいずれただのたれ死ぬんだろう、でもその時は少ない夢をいくつか叶えられたらいい、そして病院のベッドで苦しみながら死ぬと思っていた。でもちゃんと終わりを考えながら生きる人がいる、自分の人生でそんな人は初めてだったので衝撃だった。
僕もあなたのようになりたいと拙い英語でいうと彼はおどけながらも真面目に僕のような人生はやめた方がいいよ、と言った。あるときは清掃員、あるときはベビーシッターをやったりした。ベビーシッターをやったときは僕は何もしてないのに急に赤ちゃんが死んだ、すると家族に本当にピーナッツを投げつけられて逃げてきた。決していい人生だったわけじゃない。奥さんもいたけどもう逃げられたし、家はスイスにあるけど半年以上もどってない。だからちゃんとこのグリンデルワルドが僕が住むにいい街だったか見てるんだよ、と。
この街には1周間ほど見て回るという。違ったらまた移動する。それで十分なのだそうだ。これを3年も繰り返してるらしい。
「スナフキンか」と心のなかで軽くツッコミながら握手をして終わった。すごい出会いだった。ただ彼の話はとてつもなく長く1時間以上話し込んでしまった。半分以上の彼の英語がわからないのに話し込んだとはこれ如何に。
ちなみにその夜、同じ部屋のおばさんはこれでもかというくらい隣のベッドのセントおじさんに話しかけられてた。うんうん、とかったるそうに返してた。
気持ちはわかる。うるさいのだ。
しかし旅で一期一会の出会いがあるというのはやはり嬉しかった。
(続けー)