(僕独7) 旅っぽくなったかもしれない〜The devil is not so black as he is painted.〜
スイスに行こう
当初の予定の後半のスキーについては何も計画が立てていなかった。
インターネットでスイスのスキー場を調べると、日本人観光客がよく行く場所があるという。その名もグリンデルワルド。アイガーと呼ばれるマッターホルン北壁同様にスイスを代表するさん大北壁が目の前にある街だ。
日本語観光案内所があるらしく日本人がよく訪れるらしい。これなら海外慣れしていない自分でも何とかなるかもしれない。
Skypeで観光案内所に電話をして当日スキーできるかや宿泊について質問した。最初にスイス語が出てきたらどうしようかと思ったか日本語で「はい、グリンデルワルド観光案内所です」と出たのでホッとした。
ユースホステルの予約も済ませ、ホテルの近くの駅窓口でグリンデルワルドまでの切符を購入する。何度も列車移動してわかったのは経路がわからない場合はさっさと窓口に聞いてしまうことだ。無愛想なりいろんな対応があるが乗り換えまで詳しく教えてくれる。
グリンデルワルドに行くまでは3回ほど乗り換えなくてはならなかったが、でっぷり太った駅員が優しく教えてくれた。
先輩にこれまでの礼と別れを告げ、まずはロンドン駅からパリ北駅へ移動する。イギリスとフランスの間の海は海底トンネルで繋がれているので飛行機に乗らずとも電車移動が可能なのだ。すごいとは思いませんか。
旅の不安はもう少なくなったのでぐっすり眠れた。途中隣に座った男性がにこやかに、どこを旅してるのか聞いてきた。オランダ、フランス、スペイン、イギリスと周ってこれからスイスに行ってスキーをするんだ、と得意げに答えると驚きながらナイスと言ってくれた。パリ北駅につくとHave a nice day、you tooとお互いに言い交わし別れた。
ああ!なんか旅っぽいよこれ!いい感じじゃない!こういう外国人との触れ合いに超憧れてた。
13時頃、パリ北駅でバゲットサンドを購入。フランスもイギリスもバゲットサンドが駅の売店でよく売られてる。一緒に果物も売っているのでなんだかオシャレだ。バゲットなので一本が一本が大きいのだが女性も平気で買っていく。こういうのが日本にあったらいいのにな。
さて、この後何回か乗り換えをし夜8時頃にグリンデルワルドに到着した。
グリンデルワルドはアイガーがあるだけあってかなり寒かった。ただ道路には雪にはほとんどなく、雪の多くは山にあった。
街というより村で駅もローカルな感じだった。山中の街だけあって街灯はあるもののかなり暗かった。
観光案内所は当然のごとく閉まっていた。明日向かおう。
ユースホステルにはすぐ辿りつけた。最初の村という印象はあながち間違っておらず主要な場所は東京ドームほどもないイメージだ。
ユースホステルというと男女別のドミトリースタイル(相部屋)が基本だが、部屋に入ると何故か滅茶苦茶背が高いエヴェンゲリオンみたいなおばさんがいた。190くらいありそうだ。
ちょっとビビったが別に風呂も一緒でないし、おばさんなのでまあ海外なんてそんなもんかと思ってすぐにスルーした。だいぶ物事に耐性がついてきた。
二段ベッドが2つに普通のベッドが2つ、つまり6人部屋だった。部屋にはおばさんしかいなかったが、他にも3つほど荷物がある。どこかに行っているらしい。
ひとまず外に出て夕飯を食べた。カツレツと日本語で書いてあったのには驚いた。ポテトとカツレツと奮発してワインを飲んだ所3000円もした。スイスは物価が高いことを実感した。
よく海外では味噌汁や米が食べたくなるというが自分は全くそれを思わなかったので案外海外も向いているかもなと思った。パンでも肉でも何度続いても全然平気だ。もし海外で暮らし始めたら悩み始めるのは食な気がする。そういう意味ではいけるじゃんおれ!と思った。
ただ何故か醤油を舐めたいと思った。別に醤油が好きなわけではないのに。そこは日本人たる所以なのかもしれない。
夕飯を終えシャワールームで汗を流し、リラックスしながら部屋に入る。
ティーンエイジャーのスイスっ子3人が爆笑しながら、爆音で音楽を流していた。
扉を閉める。
待って、落ち着くのよ、かわいいものじゃない。日本で言えばただの高校生が爆音で音楽流して部屋にいたらと思えばいいじゃない、それだったら、それだったら、怖いわ。
深呼吸してもう一度部屋に入る。今度は爆音が蚊の音かと思うくらい下げて、僕を見てひそひそ言っている。
事前にネットで確認していたのだがスイスは日本となんとなく文化が違うらしい。治安も日本と同じくらいよく、我関せずというか空気を読む感じがちょっとあるらしい。そんなわけでビビりながら彼らにそこはかとなく親近感を持ってしまった。
翌日は眩しいくらいな快晴でアイガーの壁は雪で輝いていた。起きるとスイスっ子達はもうスキーにでかけてしまっていた。
ユースホステルだったが朝食付きにしたので、ブルーベリージャムをヨーグルトにいれたものと、チーズとジャムをたっぷりつけたパンを堪能した。酪農大国だけあって美味い。
なんだか優雅な気持ちになってきた。最初のオランダが嘘みたいだ。
スキーをしよう
日本語観光案内所に行くと普通に日本人の方が出てきて、スキーがしたいことを伝えると親切にどこでウェアのレンタルができるか教えてくれた。リフト券は案内所で購入できた。
ウェアとスキー板を借りにいくと慣れた対応でサイズを測ってくれた。よくみるとグリンデルワルドのあちこちに日本語があるのだ。相当日本人観光客が多いことがわかる。
ここで一つ問題が起きたのだがクレジットカードが使えなくなった。複数の国をまたぐ時はクレジットカードは本当に便利でいちいち両替をしなくて済むのは助かった。5カ国を跨ぐとなるともちろんその国ごとの両替は多少はするが頻繁にしなく良いからだ。
仕方なく現金を使ったが理由はどうやら限度額を超えてしまったかららしい。元々学生カードで限度額は20万程度しかないのだが、この旅では既にそれだけ使ったことになる。
航空券を合わせると40万以上使っている。今回のお金の大半は親に借りたのだがこれには今でも感謝している。社会人になってからもボーナスが入る度に少しずつ返している。
リフトまで歩いたがこの道程が坂道なので結構キツい。板を抱えながら歩くとじっとり汗をかいた。その横を悠々とリフト行きの路線バスが通りすぎてアンニュイな気持ちになった。
ゴンドラに乗り込み15分ほどかけて中腹まで移動。ここから様々なスキーリフトに乗ることになる。着いて目に見えたのは文字通り白銀に輝く世界だった。
日本のスキー場はどこも混んでいるし、いかにもコースといった所が続いている。雪質も吹雪かなければ滑りづらいし、天気が良いとアイスバーンがほとんどだ。
僕が当初の予定からスキーを組み込んだのは何か旅をした後に他の人が中々しない経験をしたかったからだ。
海外でスキーって響きに憧れてた。その憧れがここにある。日本のようなあからさまなコースではなく大自然を滑るのだという感覚。最早どこまでが滑っていいところなのかわからないくらいだ。それだけに圧倒的な広さだった。
スキーは元々小学生の頃からやっていて日本の上級者コースもおぼつかないながらも滑れる腕前だったので多少の自信があった。これは凄い経験になる、その確信をくれるほどアイガーの山々は眩しかった。
さて、雪質やコースについて伝えたが海外のスキーが日本と違う所をお伝えしたい。
まず滑走距離、これがとてつもなく長い。まだ終わらないの?というくらい長いので足がつかれるくらいだ。100m置きに救難小屋があることを言えばその広大さを伝えられるだろうか。つまり遭難したらそれだけやばいくらいに広いのだ。
そして標高が高すぎるせいかわからないが物凄く暑い。雲という雲がなくゴーグルやサングラスがなければ目が焼けてしまう。それもあってびっくりするくらい汗をかいてまた喉が乾くことがしばしばあった。日本のスキー場でカラカラになるほど喉が渇いたことがないのでぜいぜい言いながら水を買った時の旨さは格別だった。
スキーヤー達も外で昼ごはんを食べているのが普通だった、それくらい暖かく暑い。
(ハンモックチェアーに揺られながらアイガーの山々をのんびり眺めて休憩)
危機管理やウインタースポーツの意識も違った。まずスノボーダーはほとんどいなかった。これは海外だと珍しくないのだがある意味当然とも言える。これだけ広大なスキー場だといちいちプロテクターをはずさないといけないボードだと移動がとてつもなく大変になる。板をいちいち外さず移動しやすいスキーになるのも当然と言える。僕はスキーもボードも両方滑れるが個人的には滑っている時もスキーの方が安全な気がする。小回りがきくぶん障害物も色々と対処しやすいのだ。
また帽子をつけている人も一人もおらず皆がヘルメットだった。それだけ危険があるスポーツなのだと実感したが、そりゃこんだけ広くてスピードを出してガンガン滑ってたら必要になるのも当然である。ちなみに僕はゴーグルは持参できなかったのでサングラスで滑っていたがサングラスも1割り程度で皆がゴーグルだった。これもまぁ当然といえば当然である。
そして小学生くらいのスイスっ子達の滑りが早いこと早いこと。僕はそもそも滑りが早い方ではないのだが10人くらいの子どもたちに立て続けに抜かされたときは流石に悔しくなった。
10分ほど追いかけたが追いつけなかった。10分猛スピードで滑ってふもとに着かない広さにもびっくりだが。
とにかく楽しかった。
旅の出逢いをしよう
ユースホステルに戻ると日本人の旅行者がいた。
聞くと大学2年生の娘さんとお母さん二人で旅行中だという。
これまでのお互いの旅の話をしながら談笑した。二人も英語もできないながらもお母さんの肝っ玉の太さで色々乗り越えてきたらしい。こういう旅もいいかもしれないなと思った。
話のお礼ではないが持っていた芋けんぴをあげた。僕の母に持たされたものだが正直食べる場面が全くなかったので女性二人にあげたほうが有意義だと思った。
実際大いに喜んでくれてお返しにお菓子を大量にくれそうになったので丁重にお断りした。これ以上荷物を増やしたくないのもあったし...。代わりにあめ玉をいくつか貰った。なんだか親戚のおばちゃんと話てる気分になった。
(夕飯はチーズフォンデュ。味がない)
二人はスキーはせずにアイガー頂上のフィルスト展望台に行くという。これはリフト券だけではいけず、往復料金だけで7,8000円もしたので自分は諦めたのだった。ちなみに二人には翌日スキーの途中でたまたま出会った。アイガーの山々を登るにはゴンドラ以外にも列車の手段があるので途中までフィルスト展望台行きの列車で登ったのだった。
にこやかに談笑途中に車掌がおまえ金払ってないだろ、あとで払えよと言われてびっくりして途中のスキーコース頂上駅で急いで二人に別れを告げて降りて逃げた。結果をいうと車掌は展望台に行くと思い込んで料金をはらえと言っていたのだが、慌てたあまり停車駅のレストハウスの奥に逃げ込んでしまった。くつろいでた人が何事かと見ていたので恥ずかしかった。
またユースホステルではもう一人忘れられない出会いがあった。二日目から泊まり始めたスイス人である。
彼の名前はセント~なんたらと確か15文字以上もありやたらと長く、短く何と呼べばいいと聞くとそのまま呼べと言ってきた。じゃあ代わりに僕はヒロでいい、ショートだろ?とドヤっというと二人で爆笑した。
彼は陽気な40代くらいの男性でにこやかにかなりの勢いで僕に話しかけてきた。どこから来たんだ、ここで何をしているんだい、とか。
なぜこの彼が忘れられないかというとグリンデルワルドに来たのが自分の死に場所を見つけるためだと言い出したからだ。
驚いた僕に彼は続けた。僕はこれまでいろんな国や場所で仕事とかいろんな人にあってきた、でもやっぱり腰を落ち着けて故郷と呼べる場所をつくりたい。そしてそこで死ぬまで暮らしたい、そんな安住の土地を探しているんだ、そんなことを言ったのだ。
自分が将来死にたい場所なんて考えたことがなかった。自分はいずれただのたれ死ぬんだろう、でもその時は少ない夢をいくつか叶えられたらいい、そして病院のベッドで苦しみながら死ぬと思っていた。でもちゃんと終わりを考えながら生きる人がいる、自分の人生でそんな人は初めてだったので衝撃だった。
僕もあなたのようになりたいと拙い英語でいうと彼はおどけながらも真面目に僕のような人生はやめた方がいいよ、と言った。あるときは清掃員、あるときはベビーシッターをやったりした。ベビーシッターをやったときは僕は何もしてないのに急に赤ちゃんが死んだ、すると家族に本当にピーナッツを投げつけられて逃げてきた。決していい人生だったわけじゃない。奥さんもいたけどもう逃げられたし、家はスイスにあるけど半年以上もどってない。だからちゃんとこのグリンデルワルドが僕が住むにいい街だったか見てるんだよ、と。
この街には1周間ほど見て回るという。違ったらまた移動する。それで十分なのだそうだ。これを3年も繰り返してるらしい。
「スナフキンか」と心のなかで軽くツッコミながら握手をして終わった。すごい出会いだった。ただ彼の話はとてつもなく長く1時間以上話し込んでしまった。半分以上の彼の英語がわからないのに話し込んだとはこれ如何に。
ちなみにその夜、同じ部屋のおばさんはこれでもかというくらい隣のベッドのセントおじさんに話しかけられてた。うんうん、とかったるそうに返してた。
気持ちはわかる。うるさいのだ。
しかし旅で一期一会の出会いがあるというのはやはり嬉しかった。
(続けー)
(僕独6) 世界遺産に行けるかもしれない〜If wishes were horses, beggers would ride〜
旅先でキレよう
フランスで先輩にあってから最高にテンションが高かったが、その甲斐もあるのか何なのか知らないが僕はバルセロナで滅茶苦茶先輩にキレた。
乙くんと当初話していたとおり、僕は世界遺産に興味が無い。
先輩と会ってから色々なご当地の美味しいものを堪能できたのでかなり満足していたのだが、先輩は世界遺産に興味がある方らしい。
アムステルダムには世界遺産が沢山ある。ガウディがいたからだ。
街の至る所にあるのでレンタサイクルを借りて周ることにした。天気もいいし。
まずはスペイン村に行った。要は日光江戸村みたいに観光客相手のなんちゃってな場所だが、手っ取り早くスペイン文化がわかる。
(ガラス工芸が有名らしい)
が、歩きまわってるうちにiPod touchがなくなってしまった。
慌てて先輩に探してくると言った。
そうか、と先輩が言った後、
「よし、次行こうぜ」
は?何言ってんだこいつ?いや、この人。
何度もWifiつなげられる機器が僕のライフラインだって言ってあるのに。
「探す時間が勿体無いから次の世界遺産行こうぜ」
ごめん、なくしたのは僕が悪い。たしかに。僕の落ち度です。でも普通形式上でも心配するよね?なんだこいつと思ってキレた。おいおいふざけんな!と。先輩だがそんなの関係ない。
うるせーなどうせこの辺に入ってんじゃねーのと先輩が僕の体をまさぐる。
胸ポケットにあった。あれ?
「ほらいいだろ、行こうぜ」
なんだ、このモヤモヤした感じ。僕が悪いのにイラつく。
その後も移動する途中で自転車で勝手に爆走し始める先輩にもキレた。地図を確認しているうちにへいへいへーいと全く目的地と違う方角へ自転車を漕いで行ってしまうのだ。
勝手にどこかいっちゃダメよ!お母さん心配するでしょうが!と。目が離せない。
(オレンジのウィンドブレーカーを着て悠々と走ってるのが先輩)
世界遺産を周ろう
(昼飯)
先輩が見たいというのでF.C.バルセロナのスタジアムへ。
楽しかったと思う。
次にカサ・ミラに行く。これはガウディが建てたアパートだがその独創的な形から世界遺産に登録されている。しかも土産物屋や観光客が普通に見学しているのに、そのアパートには普通に人が住んでいるというから驚きであった。
ここでは日本語ガイドのトランシーバーのようなものがあったので英語のガイドに苦しむことはなかった。
途中も色々な所を見て回ったせいで、次もガウディが建てたアパートのカサノヴァに行く頃にはもう夕方になってしまった。
だが一番の名所、サクラダファミリアが残っている。カサ・ノヴァもカサ・ミラときっと同じ感じだからサクラダファミリアをちゃんと見ましょうと先輩に進言。
「おれはとにかく周りてーんだよ」
「いや、それだとサクラダファミリア10分も見れないっす。カサノヴァも同じくらいっす」
「いいんだよ、それで」
「よくねーよ!意味ねーだろ!インスタントな思い出つくりか!」
フランスで会えたことに感動して『先輩に一生ついていきます!』とも言ったのに、あんなにアムステルダムについた時楽しかったのに、勝手に人の旅についてきてるのに。
あまりにも身勝手だったがとにかく喧嘩した。喧嘩というより勝手に激昂してたが。
サクラダファミリアは当初はそもそも行く予定はなかったのだが、スペインに行くと決まった時にどうしても行きたいと思ったのだ。唯一。それをこんな無神経な先輩のせいで潰されると思ったらキレずにはいられなかった。
とは言え、やはり勝手についてきてる身なのでカサノヴァも周った。
滞在時間15分。
その後大急ぎでサクラダファミリアへ。やはりでかい、がそんなことを思ってるよりも先に日が暮れかかっているので急いで受付へ。
受付のお兄さんにチケット2枚というと「あと15分しかないよ」と言われた。それでもいいからというと鼻で笑われた。
俺らのサクラダファミリアを15分で見れっかよじゃぽねーぜがって感じに。
これにもキレかけたがさっさと見て回りたい思いが強かったので急いで入った。
サクラダファミリアはとにかく天井が広くて至る所に芸術的な細工がされていた。
これが15分しか見れないなんて、と実にがっかりだった。
サッカーを観よう
夜は運良くF.Cバルセロナの当日試合があり当日券を購入して観戦しに行った。
実は消化試合だったらしいがスタジアムの熱気はものすごかった。
サッカー好きでない自分も思わずはしゃいでしまうくらい世界のメッシが点を決めた。結果F.Cバルセロナは6点もとり、終わった頃には僕もすっかりミーハーファンになってグッズを買って帰った。
次の目的地マドリードでもスタジアムに行った。試合は残念ながらやっていなかった。
イギリスへ行こう
それからイギリスに飛行機で移動。
手荷物の申請をしていなかったせいで余計に料金がとられてしまった。
イギリスではシャーロック・ホームズ博物館に行ったり。
フォートナム&メイソンで紅茶を飲んだり
(昼飯後に英語がわからず二人で2個頼んでしまった)
ストーンヘッジを見たりした。
郊外へ行くバスツアーだったのでゆっくりできたせいで喧嘩はしなかった。
フィッシュアンドチップスも紅茶もしっかり飲んだ。
順調に旅もこなしてきた所で先輩がふと言った。
「お前これからどうするんだ。俺はお前より2日早く買えるけど」
そう、先輩はこの後イギリスからオランダへ戻るのだ。僕はあと4日ほど残っている。
ここで先輩と一緒に日本に帰るのも手だが、ここまでで喧嘩(キレつつ)もなんだかんだ先輩のおかげで旅慣れた気がする。
そろそろ自分のもとの旅に戻っていいかもしれない。
「スイスでスキーしてから帰ります」
この旅でどうしてもしたかった一つ。
酒や食事は十分堪能した。でもせっかくなら初志貫徹したい。
僕は先輩と別れ一人旅に戻ることにした。
その夜はしっぽりと二人でビールを飲んで寝た。
その後先輩がバスルームの床を水浸しにしてまたキレた。
(風呂に入りたく浴槽に湯をためたらしいが、終わった後排水口で流しきれなかったから。海外の排水口処理能力は低いことが多い)
(続く ぜ)
(僕独5) パスポートを盗まれるかもしれない〜The unexpected always happens.〜
もう一度パリへ行こう
翌日、雪はほとんどなくなってた。
リール駅へ行き、昨日のチケットを窓口で今日のチケットに交換してもらう。追加料金をとられるかと思ったが大丈夫だった。
リールは牡蠣が有名な街なのだが、食べる暇がないのが残念だった。
新幹線に乗り込み再びパリ北駅へ移動する。
ちなみに今度の旅でよくお世話になっているのはSNCFという鉄道会社。ヨーロッパ広域移動用の列車の大きな鉄道会社のことらしい。
EUとはいえ、どういう仕組みで国境間をまたいだ運営をしているのかはよくわからなかった。
今回はちゃんと新幹線もすぐ動き出した。そして寝る。
無事パリ北駅へ到着できた。
(天井が高い)
先輩とマクドナルドで待ち合わせして、会った瞬間のことは今でも忘れられない。鏡を見たわけではないけれど笑いが止まらなかった。何がおかしいわけはないのに妙に笑いがこみ上げてくるのだ。
一人旅も気ままでいいというが、僕にとってはやっぱり誰か連れがいたほうがよかったらしい。
先輩には昨日たどり着かないことで小言を言われたが、とにかく嬉しかった。誰かとちゃんと話せることが本当に嬉しかった。
この旅、初めて心から笑えた。
パリ観光に行こう
先輩にこの後の旅程を聞くとスペインに行くという。
スペインへの準備は何もしてないが、もう乗りかかった船だった。どのみち当初の予定は全て潰れている。
先輩は1週間以上前からヨーロッパに来ていて、旅行前半としてクロアチアなど東欧を歩き回っていたらしい。なんでもそっちの方が面白そうだから、らしい。
ちなみに僕が今回当初プランしたのは西欧と北欧(イギリス)、治安の良さを考慮してである。
この辺が自分の肝っ玉の小ささをよく表している。
先輩はパリについてから先輩の友人宅にお世話になっていたらしい。今日で去るから、そのお礼にチーズでも買いたいという。
先輩の買い物についていきながら、パリ観光。
(左の人影が先輩)
エッフェル塔は高かったし、凱旋門の大きさに驚きながら、歩くだけでも楽しかった。
知らなかったがテレビでよく紹介されている巨大な凱旋門以外にも小さな凱旋門が街中至る所にあった。
夕方、先輩の友人と一緒に近くのレストラン(カフェ)へ連れて行ってくれた。
鴨肉。ちょう美味い。
なにこれ、そしてあったかい!ご飯があったかいよ、あったかいご飯ってこんなにホッとするものなのかと感動した。
「お前がっつくね」(先輩)
「もぐもぐ。いや、この旅でまともなあたたかい食事って機内食以来ですから。もぐもぐ」
あの時の2人の不憫なやつを見る目が忘れられない。
スペインへ行こう
夜8時、スペインへは寝台列車で入る。移動だらけだが流石に慣れた。
僕はふつうの車両、先輩は寝台車両に乗り込んで行った。寝台の方は僕はとれなかったのだ。
寝台部屋は4人部屋で先輩は黒人やらとサッカーの話題で盛り上がっていた。
「I love Arsenal!!」
「I love 〇〇!!(選手の名前だが覚えてない)」
ちなみにこの後の旅でも先輩はサッカーの話題で外人達と盛り上がるのだが、これ以外の単語をほぼ聞いたことがない。
これでコミュニケーション取れるんだから僕はいったい何をしていたのだろう。先輩は相手がサッカー好きでなくてもサッカーの話題をする厚かましさなので、少し見習いたい。
自分は普通の座席と思いきや、リクライニングになってるのでゆったり眠れることが可能。
アメニティもアイマスクやら歯ブラシやら毛布やら一通り置いてあり、悪くない。
国境越えに巻き込まれる
発車まであと数分。とことことアラブ系の女性が僕の席までやってきた。チェンジとか言ってる。いや、ここ僕の座席。
すると指差す。その先にはどうやらその人の夫。どうも僕の横の席が空いていたので、夫と今の席が離れているので一緒に座りたいと言う。
座席No違ってるから車掌が回ってきたときなんか言われたら説明してよね、と言って交換してあげた。こういうときは断った方がいいのだが、元来の人の良さが出てしまったとも言える。
列車が走りだし車掌がやってきてパスポートを回収。恐ろしいことに降りるまでパスポートを預かるのだと言う。ちゃんと返してくれるか心配である。
車掌が座席ちがうよと言ってきたが、あの人とチェンジしたからあの人に聞いてと指差し就寝。
とそれで終わりかと思いきやその夫婦、車掌となんか揉めていた。いろいろ言われていたが車掌はそのまま行ってしまった。
....問題はこの後、朝5時くらいである。到着は8時ほど。目が覚め寝ぼけ眼で確認するとなんだか荒野にあるようなとある駅で停まった。そしたら拳銃を持った警官が暗い車両内に入って来た。さっきの夫婦になんか言ってる。そして周りのどうやら夫婦の家族にもなんか言ってる。
しばらくして、アラブ系家族全員降りて行ってしまった。
降りた!?
これは各駅とかそういう列車ではない。目的地まで直通の電車だ。
無言で降りて行く数名。いや怖い。
そして僕、席交換したんだけど持ってかれたパスポートどうなるのか。座席No的にあの夫婦にパスポート行くはずであるが。
結果をいうとパスポートは無事帰ってきた。
彼らが降りて数時間は不安で眠れなかった。
スペイン観光に行こう
スペイン、バルセロナに降り立つとフランスもオランダも寒かったのにバルセロナは逆に暑いくらいだった。このあたりが今回の旅で最高に楽しかった。
人間あったかいと陽気になるというが本当らしい。
先輩と二人ではしゃぎながら、先輩が予約したホテルへ直行。もう一人分の予約を追加。このあとのホテルも全部先輩がすでに予約してある部屋をツインに変更してもらうことで乗り切る。
やっぱりホテルは普通事前に全て予約しておくべきだったと反省。
そこからバルセロナ観光に繰り出す。
ある公園を歩いてきた時、急にティーンエイジャーの女の子二人がアンケートを片手に話しかけてきた。
さっと顔が厳しくなる先輩。アンケートを書けとしつこくティーン二人が言ってきた。
そこで僕も身振り手振りで向こうへ行ってください、要らないと示したのだが懲りずについてきた。
そこで彼女らは何を思ったか、急に自分のパーカーの胸ポケットのチャックをがっと開いた。こっそりではなく真正面から堂々と。しかもそこにはパスポートが入っていた。
思わず両胸を押さえる僕。いやー変態。女性が痴漢されるってこんな感じ?
先輩が強く「NO!」と大きな声で手で制したことでその場はそれで終わった。
後から聞くと彼女らは所謂ジプシーで、一方がアンケートを旅行者などに書かせて気を取らせているうちにもう一方が財布などを盗むといった手口が常習化しているらしい。
確かにパリ北駅にもいた。チャックを開けてきた二人はハイスクール帰りにも見えなくもないラフな格好だったが、パリ北駅にいる女性はどちらかというとホームレスのような人たちだった。
ジプシーといえばノートルダムの鐘だが現代版ジプシーに実際に遭ったことは衝撃だった。しかもあんな堂々とした盗み(未遂)をやられたのも初めてだった。
「痴漢よー!」と大声で言えばよかった。
(続く といいなと思ってる)
(僕独4) 死ぬかもしれない〜Everybody for himself and God for us all.〜
パリで会おう
ホテルのブレーカーが落ちたあたりで僕には一人旅が無理であることを悟った。
そこで同じくヨーロッパを1週間前から放浪してる先輩を思い出し、その人と合流することにした。
連絡手段はSkypeとメールしかないのでリアルタイムの連絡ができないのがもどかしかったがオランダ観光している間に返事があった。
「フランスに来い。パリで会うぞ」
予定ではフランスに入るのはもっと遅かったが先輩が仰るなら仕方ない。
パリのホテルを予約し3日目の朝、フランスへ旅立った。
この時点で計画性は全くなくなった。決まっているのは3/16に帰国することだけだ。
しかしパリで会うとはオシャレである。
アムステルダム駅で*ユーレイルパスを提示し割引を受け新幹線のチケットを受け取る。
*ユーレイルパスとは?
ユーレイルパスは、ヨーロッパの28カ国の国鉄(またはそれに相当する鉄道)に乗り放題となる鉄道パスです。訪問国、滞在日数、周遊型、滞在型など、旅程に合わせて、さまざまなタイプが選べます。
いつでも、どこからでも列車に乗って、自由気ままに鉄道の旅が楽しめます。有効期間内であれば、何度でも、距離に関係なく、列車に乗ることができます。どれだけ乗っても鉄道パスの料金は同じです。
一泊一万円と高いホテルで当然といえば当然だが、朝食もうまいしブレーカー対応もしてくれて愛想もよかったのでなんとか感謝の意を伝えたいと思って、「また来ます、ありがとう」と言った。
でも絶対もう来ない、ホテルではなくトラウマの始まりであるこの国に。
フランスに行こう
新幹線に乗り込む。ヨーロッパの鉄道のいいところは国を超えることが全く面倒でないことだ。税関のようなものもないわけではないがほとんどスムーズに進める。
また窓口も国跨ぎの移動の扱いに慣れているので、自分達の鉄道会社でなくとも経路もすべて教えてくれた。
列車旅が始まる。
この新幹線、長距離列車なので車両と車両の間に荷物を置く棚がある。
持っているのは60ℓのバックパックなので、席に置くのは無理なのだが生憎ワイヤーロックなどは持っていないので困ってしまった。盗まれる可能性がある。結局置いたが。
ちなみに結果だけ言うと盗まれなかった。
よくよく考えるとキャスター付きのスーツケースじゃあるまいし、金が入ってなさそうな60ℓ(約30Kgほど)なぞ誰も好き好んで背負って盗みたくはない。
肩が壊れるレベルである。実際この旅の後、ひどい肩こりに悩まされた。その中に入ってるのが何故か少年ジャンプとかなので笑える。
盗難を心配しておきながら結局疲れて寝てしまったが、起きるとベルギー アントウェルペン中央駅。
つまりはベルギー、ここで乗り換えをする。立派な駅だった。昔オリンピックをここでやったかららしい。
ちょっとテンションがあがってきたのでベルギーワッフルを食べた。ベルギーワッフルはベルギーではただのワッフルなのか、ベルギーがついているのかわからなかったがとにかく美味かった。久しぶりに温かいものを食べた気がする。
そして、ここからParis Norde、日本語でパリ北駅へ。パリ駅というのはないらしい。
電車は大量の落書きがされていた。駅が立派な分、ローカルさを多少感じた。国を超える電車なのに。そういえばここでは検問がないようだった。
両向かいの席に座り、デイパックを必死に抱えて寝た。
ハプニング
予定では16時にパリ北駅だったが、15時頃ある駅で止まった。
目を覚まして窓を見るとなんという駅かわからないが外は吹雪いている。
ふぶいてる。雪、雪、雪。(びっくりした)
でもまぁこの地方この季節はどうせこんなのが当たり前なんでしょーともう一眠りしようと目をつぶる。この肝っ玉の太さは今思い出しても凄い。
しばらくして車両に車掌さんが来て説明を始める。フランス語わからない。乗客があれこれ聞く。あれこれ聞くがフランス語めっちゃ喋る。わからない。
みんなマジかよみたいな顔して駅へ降りて行った。….え。降りてった?
取り残されるとまずい!と思った僕は一緒に降りた。降りたが車掌の指示がわからないのでどうしていいかわからない。
たしか同じ車両にこんな奴らいた!という女子中学生っぽい白人旅行集団についていくと、反対ホームへいった。(女子中学生に目がいったというより降りた白人たちがどれも同じような顔で判別がつかなかったから)
どうやらここで別の車両を待つようだ。
5分待つ。車掌さんがホームに戻ってきて何か言う。また乗客達が動き出す。また元のホームへ戻る。何がしたいのかわからない。
すると今度は結局駅舎の中へ入っていった。ここで暖をとって待つようだ。
絶対的に16時には着けない。が、先輩への連絡手段がない。焦る。焦らないときなんてこの旅の中でないけどやっぱり焦る。
ようやく臨時列車みたいのに乗る。ここから一時間くらいでパリ北駅へつくはず、、、と思いきや、すぐ別の駅で止まった。
TGVに乗ろう
そこはリール。フランスの東のはずれの街だった。パリまでまだ遠い。
他の客にならい窓口に並ぶ。16時40分の新幹線乗りなさいよ、と切符を交換してもらう。電光掲示板を見る。うんうん、もらった列車ある。時間も書いてある。
だが、駅のホームの番号が書いていない。他の列車はちゃんと書いてある。
またモスクワと同じ件と右往左往してオロオロする。
おいおいロシア空港ネタ再来なんて要らないんだよ!と思って右往左往。
しばらく待ってもわからない。
フランス人の警備員(駅員?とにかく制服来てる奴)のおっちゃんがいたので、おいおいわかんねーんだ!どうすりゃいーんだと身振り手振りで伝える。
「Je vais bien.Attendez.」
フランス語。。死ね!!
とりあえず待ってろと手で制された。いや、待つっていうか電車行っちゃうんだって!!
そしたら今度は黒人がそいつに聞いてきた。聞いてあげる警備員。イライラする僕。
そんな奴に関わってないでワタシを見て!さすがフランスである。心もどことなくドラマチックになってるようだ。
落ち着け、落ち着けと何度も手で制される。そんだけ焦って見えたんだろう。事実焦ってるよ。だってあと10分程度で出発の16時40分だから。
17時になりアナウンス。何言ってるかわからないが警備員が「ほら、行け!」と列車を指差してくれた。電光掲示板にもホームの番号が書かれている。どうやら列車の準備が遅れていたよう。
日本でも同様のことはいくらでも想像できるのにこの時は本当に何が起こっているかわかってなかった。
要はベルギー・フランス辺りで滅多ない豪雪で列車に遅れが生じているのだ。
先輩と連絡がついていないので先輩がパリでずっと待っていることを思うと心が痛かったが18時に着くようだったのでフリーWIFIもなく着いたあと連絡するしかなかった。
これで18時頃にはパリ北駅へ着くだろう。
寝よう。
バスで戻ろう
起きる。電車は動いてない。もっと言うとリール駅から一歩も動いてない。17時30分。おかしい。外は吹雪いているとはいえ、小雨レベル。不思議。不思議と片付けて、もう一回寝る。
起きる。電車動いてる。人が走るよりも遅く超のろのろと。
江の電の方がまだ早い。ちなみに電車電車言ってるが、これTGVだからー?世界最速の新幹線が、、、江の電に負けてる。
どうなってるのか周りに聞きたいけど横にいる黒人はちょと怖い。怖いとか言ってられないけど怖い。
どっか立って行ってしまった。おいてかないで!
戻って来る。お茶飲んでる。多分食堂車かなんか行ってきたんだろう。羨ましいがバッグ置いて動きたくないので残った水で我慢する。
極限の緊張。
することもないので、も一回寝る。
しばらくして起きた。動いたり止まったりしてる。時刻22時。。。22時!?
寝過ぎたわー,,,,ってどうなってんねん!とノリツッコミを心の中で入れつつまた車掌さんが来て説明し出す。
待たされた乗客達の質問大会。フランス語英語ドイツ語かもうよくわからない。少なくとも楽しげではない。
皆が車掌の説明を聞いた後、立ち上がる。また立ち上がった!しかも今いるのは駅ではない。さっきのケースと違う。みんなぞろぞろと荷物をかかえて列車から出て行き始めた。
おろおろするだけの自分。勇気よ、勇気を振り絞るのよワタシ!!ああ、でも聞けない。何故なら異国の人が怖いから。なぜ自分が今海外旅行をしているのか不思議だった。
さすがに命の危険を感じたので1人残ってゆっくり準備してる若いお兄さんをつかまえ、車掌が何言ってたのか教えてくれと懇願。
「~~~~~(聞き取れない)~~go bus」
外を指差しながら言う。
「はぁ??バス!?」
「Yes」
お礼を言って外に出て皆についていきしばらく歩くと、二階建てバスが何台も待機していた。どこに向かうのかわからないが不安になりながら二階席へ。
不安でも二階で楽しむ心を忘れない自分、さすがである。二階席は好きだ。
人がたくさん乗り込み、いざ出発。と思いきや、テレビカメラマンとレポーターが乗ってきた。
ニュースになるような事態だったのかとようやく事の重さがわかった。
「へいへいへ~い♩」と超ゴキゲンでやってきて僕の向かい側の席へ座った。
「いやーみんな超大変だねぇ、感想聞かしてくださいよ(フランス語)」
言葉がわからなくてもなんとなくわかってしまうノリってすごいと思った。
周りが何人かインタビューを受け始めた。
なんて不謹慎な奴らだ!雪で立ち往生してるのに!と思いながら、自分も電子辞書を取り出して「一人旅してるけど?」って英語でなんて言うのか調べた。
数人分インタビューを聞くと僕には聞かずにそのままテレビクルーは行ってしまった。インタビューの準備したのに!
宿を探そう
バスの行き先はリール駅だった。戻ってきちゃった!夜23時、雪空の下放り出された。
皆がバスから降りた所に駅員が来てメガホンで何やら叫ぶ。
「~~~~~。解散!!(*やっぱりフランス語)」
ホームレス中学生,,,?
フランスの東の外れの街、リールに放り出された。寒すぎる。
インターネットが使えない、、、今どこかもわからない、こういうときどうしていいかわからない、ホテルの場所もわからない。
数十分途方にくれていたが、ようやく背中の糞重いリュックを思い出す。これにはジャンプだけでなく地球の歩き方数冊が入っていた。もちろんフランス編のも。
備えあれば憂い無し、とこれほどまで実感する時もない。
かじかんだ手で近くのホテルを確認して行ったが、若い品のいいお兄さんが手をすくめる。
解散宣言から20分ほど経っているので、他の難民客が埋めてしまったらしい。
しょぼーんとしながら、もう一度寒空の下に出ようとしたが、ハッと思い直し足が止まる。
『これはシャイとか言ってられないんじゃいか…?』
それ、もっと早く気づいて! 同時に心でツッコミ。
お兄さんに近くの他のホテルを教えろと厚かましく要求。危機的状況は人を変えるらしい。
「Cheap!! Cheap hotel!!」
お兄さんトラベラー向けのパンフの地図を出して、ホテルの場所にいくつか赤丸をつけて紳士的に教えてくれた。困った時は聞いたほうがいいのは当たり前だが、やっとこの辺りで聞くのにも抵抗なくなってきた。
念のため、お兄さんが教えてくれたホテルと地球の歩き方に書いてあるホテルを照合すると一軒あったのでそこにした。
そのホテルは微かな灯りがつくだけで閉まっていたのだが、厚かましく何度もノックすると主人が出てきて入れてくれた。
Check in OK? Off courseの流れですんなり入れた。ちょっと民宿っぽい古いホテルだったが綺麗にしてありwifiも使えた。
さっそく16時にパリ北駅で待ってたはずの先輩にskypeして謝る。散々文句を言われたが仕方ない。翌日改めてパリ北駅前マクドナルドで待ち合わせした。
人生色々なことがあるなぁと窓を見ながら眠りについた。
(続く だろうか)
(僕独3) 着いて早々やらかしたかもしれない〜Misfortunes seldome come singly.〜
アムステルダムに着いた
アムステルダムの街並みは気温が低かった。
旅するヨーロッパの国々は緯度的に言えば日本の少し上なのでやはり寒い。
2月で日本が冬なのだから南半球に行けばよかったかもしれないと今更ながら思った。
ホテルに着いたのは23時半だった。
一日目ということで奮発して良いホテルをとっておいてよかった。
乙くんの分も予約していたが来れなくなったことをなんとか電子辞書片手に伝えた。
キャンセル料がとられるかもと思っていたが大丈夫だった。
イケメンなオランダ人お兄さんがちゃっちゃと処理してくれた。
部屋はものすごく綺麗だった。
ひとまずベッドに大の字。ダブルベッドだった。
もう疲れた。
明日は予定では夕方に港に行き、イギリス行きのフェリーに乗る予定だ。
だが、こんな調子でたどり着けるのだろうか?
この予定を消化できる自信がなかった。
乙くんと立てた予定
3/3 13:05-18:25 海外出発 成田-モスクワ
3/3 21:55-22:40 トランジット ロシアモスクワ(シェレメチボ)-オランダのアムステルダム。アムステルダムのホテルで一泊
3/4 夜行フェリーでイギリスへ
3/5 イギリス着、ロンドンへ
3/6 ロンドン観光
3/7 ロンドン観光?
3/8 ロンドン-フランス パリへ
3/8 フランスでモン・サン・ミッシェル観光
3/9 フランスからスイスへ
3/10 スイスでボルビックを汲む
3/11 一日スキー
3/12 スイスからチェコへ
3/13 チェコでビール飲んだ後、ドイツへ
3/14 ドイツでビール飲む
3/15 ドイツからオランダへ
3/16 帰国
一度でも旅行した人があるなら、いや旅行しなくてもわかると思うが、ものすごく無理がある旅行だった。
「~へ」ばかりでほぼ移動しかない。
そして観光という観光はまったく念頭に入ってない。
そもそも難しい予定だった上に『独り』という要素が増えたことによる不安。
そして心が完璧に折れる。
「(どうしよう、明日のイギリス行きは無理な気がするなぁ、キャンセルしようかな...)」と考えてネットで情報を漁っていると、iPod touchの電池が残りすくなくなってきた
明日の予定・地図等を確認、親に着いた報告の旨をメール。
ガラケー、iPod touch、android端末の充電をする為、プラグつけてコンセントに入れる。
10秒後。
なんかコンセントから煙が出た。
シューという音と共に煙が出た。もくもく。
それだけで十分びっくりする事態なのだが、疲れた頭だったからか、そっかープラグがなんか壊れてたのかしらーと予備のプラグをつけてもう一回。
また10秒後。
なんかジーって音がした。
んでバチンと大きく鳴った。
んで部屋の電気が消えた。
暗くなった。
あーー。叫んだ。気分はホーム・アローンのマコーレー・カルキンである。
部屋の電気が落ちたのは午前2時。部屋の灯りのスイッチをカチカチ、点かない。
急いで窓へダッシュ。窓の外の街は光り輝いている。街全体は電気落ちてない!良かった!!
今思うとオランダをインドの街かどこかと勘違いしてたようだ。
(*知人からインドとかは街全体で電気落ちるの珍しくないという話を聞いていた。ここはオランダなのに色々パニクっていた)
次にドアへとダッシュ。勢いあまり扉に肩をクラッシュ。
物凄く痛かった、痛かったが体当たりしたところで扉は映画のように開いたりはしない。
そんなことにかまってられず部屋のドアをガチャガチャしてようやく部屋の外に出ると廊下には灯りがついていた。
どうやら停電はこの部屋だけらしい。
変圧器がついてないアダプターを使ってショートしたみたいだった。
iPod touchの電池も残り少ないし、この電池が切れたらもう外国人とコミュニケーションは取れない。
死んじゃう、と思った。
インターネットを活用しよう
残りの電池で、最後質問サイトにベッドに潜り震える手で質問(救難メッセージ)を出した。
質問No.73412○○:海外のホテルでブレーカー落とした!
「オランダのホテルでブレーカー落としちゃいました!
充電がいるんですが正直にフロントに言った方がいいですか!??
お金とか請求されますか?!
廊下は電気ついてるんですが他の部屋がブレーカー一緒に落ちる事ありますか!助けて」(*ほぼ原文)
我ながら必死さがよく伝わる文を書けたと謎の満足感を得た。
とにかく夜フロントに行くのもなんだか気が引けるので頑張って寝ることにした。
初日の夜でまさか期待ではなくブレーカーの請求に怯え寝ると思わなかった。
翌日、朝起きて返事をチェック。
回答1:「落ち着け」
回答2:「だいじょぶですよ」
回答3:「どうしたらそんなことになるんだ」
そんな感じだった。最後のコメントの投稿者については絞め殺したい気分になった。
とりあえずお金の請求はほぼ有り得ないということなので、フロントに謝ったら直してくれた。
でもブレーカーが落ちたことを英語でうまく言えず、
「My room's breaker is down!!(俺の部屋の破壊野郎がノビちまってるぜっ!!)」
いきなりのノックアウト宣言。フロントの人びっくりしてた。
僕も言ってびっくりした。意味分からん、強盗でも入ってきて返り討ちにしたのか。
確かにドアには体当たりしたけど。
試行錯誤の上、10分ほど話しやっと
「The light is down」「All?」「All」「OK~」
これで通じた。
海外慣れしてない人はややこしく言わないことを学んだ。
30分ほどして部屋の電気は戻ったが、一歩も部屋から出たくなった。
もう日本には戻れないのかな、と思った。
日本大使館ってどうやって調べるのかな。
大使館って英語で言えない。
どうする、俺(ラ◯フカード)
(続け)
(僕独2) 目的地にすら着けないかもしれない〜Every man is his worst enemy.〜
いざ、卒業旅行へ出発
出発の日、3月3日ひな祭り。快晴だった。
はっきり言えるが出発前日は絶望に打ちひしがれていたとはいえ、出発時は楽しみの方が多かったと思う。
だってこれから一人で旅しちゃうんだよ?しかも数か国!カッコよくない?とかアホなことを考えてた。
今時の学生なら大学4年で一人旅とかどちらかと言えば遅いくらいである。
とはいえ、期待に目を輝かせてバックパックを背負っていたのに、旅立ちの足取りは非常に重かった。
何故かと言えばバックパックの中身が半端無く重かったからである。
持って行くものはよく考えよう
これが持ち物の一覧である。
持ち物一覧
- ウインドブレーカー
- 本(ものすごく重かった)
-地球の歩き方×4冊(スイス・ドイツ・オランダ・フランス)←アホ
-ハーバード白熱教室(原著版)←読めないくせに気取って持っていった
-少年ジャンプ ←?
- リュックサック(60リットル)
- 洗剤系
- 衣類4着ほど
- スキーグッズ(ゴーグル・ニット帽・手袋)
- お菓子(母が持たせた芋けんぴ、雛あられも持たされそうになったが断固として拒否した)
- 電子辞書
- ipod touch(第3世代)←唯一の頼りなネットデバイス
- android(au)←予備
とにかく書籍が重い。肩にぎっちり食い込んで痛い痛い。
しかも60リットルはものすごく荷物が入るので、海外旅行終わった時には肩こりが半端なくなっているなという予感。
なぜ60リットルにしたのか理解に苦しむ。
心配性の自分が持ったらそりゃ限界まで詰め込むに決まっていた。
飛行機に乗ろう
当日昼、心配しながらも空港まで見送ってくれた両親とともに遅めの朝食(ここでジャンプを買った)
不安でドキドキしながら飛行機に一人で乗り込む。
ちなみに乗ったのはロシア航空。ものっそい下手な日本語で、『ゴリヨー イタダキ アイリガトゥエゴゼマス』みたいな事を言われる。
ご利用いただきは割とちゃんと言えるんだなーとぼんやりした頭で考える。
ゴリヨー。
機内食は普通。
毎回アルミの弁当箱みたいのに主食が入っている。
その時はぶよぶよの天丼、別に味は悪くない。つか割と好き。
ロシア航空は運賃が安い代わりにお酒が有料、でも紙パックに入ったやっすいワインは無料。
到着してからが心配だったが一杯だけ飲んだ。不安でしかも寝不足な時に飲んだから気つけのつもりが逆にドキドキして気分が悪くなった。
モスクワでトランジットしよう
トランジットで一度ロシアのモスクワ空港に降りた。
なんだか心細くなり自宅に電話をかけた。
うん、こえー、ちょうこえーよ、それだけ言って切った。
これだけの会話で500円もかかった。安いものである。
モスクワ空港はとにかく広い。早めにゲートの近くに行くことにした。
トランジットはターミナルE。
モスクワ入港したのはターミナルC。次にDといって余裕余裕と思っていたら、ここからターミナルEですよーみたいな看板がない。焦る。
周りに日本人はいない。モスクワ着いた際はたくさんいたのにどこにもいない。見えるあの集団はぜったい中国人だろう。
チケットを見ると21:15発だからもうすぐだよなー、と20:30頃に掲示板見るがまったく表示されない。
10個くらい便が表示されてるのに、なんか便がない。
表示されない?!
21:15以後の次の飛行機はもう表示されてる。
遅延?ゲート変更?、ゲート変更だったら私死ぬ!ロシアで死ぬ!実写版ターミナルのトムハンクスになっちゃう!死ぬ!
焦りまくって何故かターミナルEからDへ。
人間焦るととにかく動きまわりたくなる。
なんでもいいから職員に聞かな、でもシャイなので話しかけられない、シャイとか言ってられないけど話しかけられない。なんてこと。
ようやく一人警備員をつかまえる。
「excuse me...」
「 Что случилось?」
何言ってるかわからない!片言の英語も通じない!
別の人にもう一度トライ。
「I'm looking for this gate(このゲート探してます)」
「Oh,This gate is there(ああ、むこうだよ)」
たった今までいたゲートを指さされる。
それはそうだ。
そうではなくて便がないことを言いたい。でもなんて言えばいいかわからない
「Thank you...」
お礼を言って終わってしまった。
がんばれ日本人、もっと頑張れ日本人。
というよりコミュ障もっとがんばれ、という心の声虚しくとりあえずEに戻る。
このときすでに21:00、あと15分、焦りは半端ない。
最後にもう一度だけトライ。
「excuse me...」
「 Что случилось?」
いやこの件はもうやったから!
もう10分もない。
諦め半分で女性職員二人(かなりの美人)を見つけて最後にトライした。英語は通じた。
すると電光掲示板をみながら、ああアレじゃない?と話しながらチケットにゲートの番号をかきこんでくれた。ゲートGだって。
なんでわかるのって思ったが確かに電光掲示板に目的の便は表示されていた
ずーーーっと出発時刻ではなく、ゲート開場時刻を見ていたことがわかった。
アホすぎた。今時中学生でも割と知ってる。
3時間ウロウロしていたのでもう疲れ果てた。
オランダに着いた
トランジットも無事に済み、オランダのスキポール空港に着いたのは夜の10時40分だった。
ポーランド旅行の時は昼間で栄えていたはずが、夜のせいかほとんどいない。
寂しい、帰りたい。肩痛い。
本当にそれだけを思っていた。
(続く)
(僕独1) 僕はこうして独りになった〜Put into the water.〜
「学生のうちに行っておいた方がいいよ!」
大学4年、卒業が近くなってきた頃の話。
学生最後の冬に周りの人間が急にこんなことを続々と言い出すようになった。
海外に好きに行って周れる機会は学生のうちしかないのだという。
卒業旅行は海外旅行に行くべきだとは時代錯誤もかくやのごとく不思議な価値観である。
だがその気持ちはよくわかる。
その頃の僕はやっとの思いで審査が厳しいゼミの卒論を出し終えたばかりだった。
「卒論出せないってことは内定取り消しだねぇ(ニヤニヤ)」と同級生や先生や先輩や後輩に毎日脅され、心身ともにボロボロの状態で海外旅行なんて考える暇がなかった。
海外に行け、とまず最初に言い出したのは親である。兄も言い出した。祖母も言い出した。
僕と同じく今年する卒業するサークルの知り合い達も次々と卒業旅行に行ってきた報告をSNS上で繰り広げる。
ふざけんなYO、会社って言っても取って食われるわけじゃあるまいし、どうしても行きたくなったら会社やめてでも行ってやるさ!そんなことを思ってた。この考えは当時でもあまり現実的でない。
とは言え、僕も結局のところ降参した。
「絶対学生のうちに行っておいた方がいいですよ!」
新社会人になるための住宅探しの最中にも不動産屋がそう言い放った。
いやそんなこといいからちゃんと物件説明してよ、と思った。
だが「そろそろ契約印押しちゃおうかなー」とか考えてる所謂“鴨”の前で赤の他人がわざわざ余計なことを言うとも思えなかった。
この考え方からして僕の当時のネジ曲がった心情は見て取れると思う。
最後にこれから入社する会社の先輩も同じことを言ってきたあたりで僕も音を上げた。
なんなのブームなの?流行ってるの?行かなきゃ死ぬの?と最初の頃の気持ちはもう海外旅行に行かなかればという謎の使命感を植え付けられたことによって消えてしまった。
大学4年1月下旬にこうして僕は卒業旅行として海外に行くことを決めたのだった。
いやぁあまりに周りが示し合わせたようだったので正直ビビった。
じゃあ海外旅行に行こう
さて、そうと決まったら行き先を決めなければならない。
前述したとおり僕はかなり疲弊していたのでなんかゆっくりしたいと思った。しかしせっかくなのでこの機会に色々な国も回っておきたい。
そこでふと、
『電車の中でボーっとしたいかもしれない』
と思った。
2週間程度で電車で色々な国周れるとしたらどこだろうか。
中国、オーストラリア、アメリカと大きな鉄道はあるが複数の国にはあまり跨いでいない。
そこで行き先は自ずと絞られた。おわかりだろうか、ヨーロッパである。
次に適当に先進国っぽい国に絞ることにした。
途上国は物価が安かったり面白かったという意見も以前友人から聞いたことがあるが、僕はそもそも海外旅行経験がほぼない。
何かあった時にちゃんと治安がよく誰かに頼れた方がいい気がした。
そういう意味で先進国っぽい所にした。当時のこの考え方は大分頭が悪いと思う。
ちなみに海外旅行経験は4歳か5歳の頃にタイに1回、大学2年の時にサークルでポーランドへスタディツアーに行っただけである。
ポーランドは旅程のほとんどを人任せにしていたのでお荷物感が半端無かった。
帰りの飛行機に乗る前に皆が気ままに免税店を覗いてる時にいつの間にか一人になってしまったので危うく帰れなくなる!と泣きそうになったくらい人任せだった。
仲間をさがそう
次に友人を誘った。
だが1月下旬ともなるとほとんどの学生は卒業旅行の計画をほぼ立ててしまっていて誰も見つからなかった。
自然とああ自分って友達いなかったんだな、と虚しくなった。
いや正しくはいるのだが皆が皆旅行に興味ない連中ばかりだった。
なんだおまえら引きこもりかよ!とも思ったが数週間前までは自分もそうだったのだから何も言えない。
友達ってやっぱり似たもの同士が集まるものなのかもしれない。
とはいうものの一人見つかった。乙くん(仮称)である。
乙くんも誰かと海外旅行に行けたらなーと思いつつも特に行動に移していなかったらしいので運が良かった。もっと言うと海外旅行には何度か行っているらしい。
それも運が良かった、道中頼りまくれる(おい)
漠然とヨーロッパの先進国となっていた行き先も、具体的に決めた。
僕は世界遺産に興味がなく、飯と街の雰囲気が味わえればよかった。反して乙くんに至ってはモン・サン・ミッシェルに一度行ってみたかったという。
やっぱり一人より二人である。自分にない発見ができそうだ。
目標を決めよう
ひとまずざっくり決めた予定が以下である
今回の旅の目標
・オランダでビールを飲む
・イギリスで紅茶とビールを飲む
・ドイツでビールとソーセージを食う
・チェコでビールを飲む
・フランスでモン・サン・ミッシェルを見てワインを飲む
・スイスでevianを飲む(&汲んで来る)
食い倒れ、いや飲み倒れ紀行だった。ちなみに僕と乙くん、どちらの希望がふんだんに盛り込まれているかは言うまでもない。
ちなみにスイスでevianを汲もうと思ったのはある「ガキの使いやあらへんで」で浜田雅功が罰ゲームでやらされていて楽しそうだったからだ。実にくだらない。
準備をしよう
次に旅の準備をした。
カバンは色々なところを周ることからキャリーバッグでは大変なのでバックパックを新たに購入した。シャンプーやボディソープ、着替え、地球の歩き方なども購入・用意
さらにチケットの手配では航空券、ヨーロッパの鉄道に乗り放題になるユーレイルパス、オランダからイギリスへ渡るためのフェリーのチケットなど色々申し込んだ。
このへんでかなりクタクタになってきた。
何しろ新社会人としての準備も色々あるのである。新居の家具も用意しなければならかったし。
そうこうして出発一週間前になった。すると乙くんから電話。
そういやこいつ何にも準備してなくね?と小さく心のなかでボヤきながら電話にでる。
「はい」
「ごめん、海外いけなくなった」
「は?」
「本当にごめん、じゃあ」
切られる電話。衝撃だった。
何も考えず速攻でリダイヤル。しつこくした結果電話に乙くんが出る。
ふざけんな、僕が一人で海外行って生きていけると思うなよ!うさぎより寂しがりの僕を舐めんなよ!と恥も外聞もなく情けないことをまくしたてた。
落ち着いてから事情を聞くと入社前のIT試験の調子がよくなかったらしい。
3月にもう一度受けて結果を残さねばならないという。
そんな試験落としちまえと思ったがそれはあくまで僕の事情によるものだけなので、当たり前だがそこで電話は終わった。
困難に立ち向かおう
諦めきれなかった僕はひとまずそのIT試験に受かったことある知り合いにあたって家庭教師を頼んだ。
5万と破格の家庭教師代を出すことになったが、どうせチケットのキャンセル料を払えば同じような金額を払うことになるのでキャンセルして無駄金を出すより、旅行に行って家庭教師代を払ったほうが有意義というものだ。
そこまで頑張ったこともあってなんとか乙くんとの海外旅行の約束をもう一度取り付けることができた。
そして出発前日。
2週間の滞在だが、ホテルの予約は色々あって3日分しかとれなかった。あとは向こうで考えてホテルを取ればよいだろう。一人なら不安だが二人ならなんとかなる気がする。
するとまた乙くんから電話。
明日の確認かな?それともお前またゴネ出すんじゃないだろうなぁゴラァと期待と怒りを膨らませながら電話にでる。
「やっぱり行けない」
「(またか)なんで?」
「最近精神的にやばくて何か今日も3回も吐いちゃって病院行ってきた」
「...へ、へー」
その後は正直何を話したか覚えてない。
そっかぁ!じゃあ無理そうだね!いいよいいよやっぱりきついよね、入社前の不安とかあるしさ、いや全然っ!ほんとっ気にしなくていいから、おみやげとか買ってくるね!とかそんなこと1人で5分ほど言った気がする。
親がなんだなんだと部屋に来る。
やっぱり頭おかしかったうちの子は、と心配そうな顔。
頭がぐるぐるしてきた。
え、んで、一人で海外?
何も下準備してないのに?
ホテルの予約は3日目までしかとってないよ?
英語できないよ?
というか飛行機ってどうやって乗るんだっけ?(え)
そんな中、親が明日どうすんだ、と聞いてきた。
「.....................................行くよ」
この時僕が行くのを決めたのはチケット代がもったいなかったからにほかならない。
己の貧乏性が恨めしい。
後にこう語る彼、実に2008年の2月春のことであった(*その時歴史が動いた)
(続く)
クリスタルガイザー派です。