(僕独7) 旅っぽくなったかもしれない〜The devil is not so black as he is painted.〜
スイスに行こう
当初の予定の後半のスキーについては何も計画が立てていなかった。
インターネットでスイスのスキー場を調べると、日本人観光客がよく行く場所があるという。その名もグリンデルワルド。アイガーと呼ばれるマッターホルン北壁同様にスイスを代表するさん大北壁が目の前にある街だ。
日本語観光案内所があるらしく日本人がよく訪れるらしい。これなら海外慣れしていない自分でも何とかなるかもしれない。
Skypeで観光案内所に電話をして当日スキーできるかや宿泊について質問した。最初にスイス語が出てきたらどうしようかと思ったか日本語で「はい、グリンデルワルド観光案内所です」と出たのでホッとした。
ユースホステルの予約も済ませ、ホテルの近くの駅窓口でグリンデルワルドまでの切符を購入する。何度も列車移動してわかったのは経路がわからない場合はさっさと窓口に聞いてしまうことだ。無愛想なりいろんな対応があるが乗り換えまで詳しく教えてくれる。
グリンデルワルドに行くまでは3回ほど乗り換えなくてはならなかったが、でっぷり太った駅員が優しく教えてくれた。
先輩にこれまでの礼と別れを告げ、まずはロンドン駅からパリ北駅へ移動する。イギリスとフランスの間の海は海底トンネルで繋がれているので飛行機に乗らずとも電車移動が可能なのだ。すごいとは思いませんか。
旅の不安はもう少なくなったのでぐっすり眠れた。途中隣に座った男性がにこやかに、どこを旅してるのか聞いてきた。オランダ、フランス、スペイン、イギリスと周ってこれからスイスに行ってスキーをするんだ、と得意げに答えると驚きながらナイスと言ってくれた。パリ北駅につくとHave a nice day、you tooとお互いに言い交わし別れた。
ああ!なんか旅っぽいよこれ!いい感じじゃない!こういう外国人との触れ合いに超憧れてた。
13時頃、パリ北駅でバゲットサンドを購入。フランスもイギリスもバゲットサンドが駅の売店でよく売られてる。一緒に果物も売っているのでなんだかオシャレだ。バゲットなので一本が一本が大きいのだが女性も平気で買っていく。こういうのが日本にあったらいいのにな。
さて、この後何回か乗り換えをし夜8時頃にグリンデルワルドに到着した。
グリンデルワルドはアイガーがあるだけあってかなり寒かった。ただ道路には雪にはほとんどなく、雪の多くは山にあった。
街というより村で駅もローカルな感じだった。山中の街だけあって街灯はあるもののかなり暗かった。
観光案内所は当然のごとく閉まっていた。明日向かおう。
ユースホステルにはすぐ辿りつけた。最初の村という印象はあながち間違っておらず主要な場所は東京ドームほどもないイメージだ。
ユースホステルというと男女別のドミトリースタイル(相部屋)が基本だが、部屋に入ると何故か滅茶苦茶背が高いエヴェンゲリオンみたいなおばさんがいた。190くらいありそうだ。
ちょっとビビったが別に風呂も一緒でないし、おばさんなのでまあ海外なんてそんなもんかと思ってすぐにスルーした。だいぶ物事に耐性がついてきた。
二段ベッドが2つに普通のベッドが2つ、つまり6人部屋だった。部屋にはおばさんしかいなかったが、他にも3つほど荷物がある。どこかに行っているらしい。
ひとまず外に出て夕飯を食べた。カツレツと日本語で書いてあったのには驚いた。ポテトとカツレツと奮発してワインを飲んだ所3000円もした。スイスは物価が高いことを実感した。
よく海外では味噌汁や米が食べたくなるというが自分は全くそれを思わなかったので案外海外も向いているかもなと思った。パンでも肉でも何度続いても全然平気だ。もし海外で暮らし始めたら悩み始めるのは食な気がする。そういう意味ではいけるじゃんおれ!と思った。
ただ何故か醤油を舐めたいと思った。別に醤油が好きなわけではないのに。そこは日本人たる所以なのかもしれない。
夕飯を終えシャワールームで汗を流し、リラックスしながら部屋に入る。
ティーンエイジャーのスイスっ子3人が爆笑しながら、爆音で音楽を流していた。
扉を閉める。
待って、落ち着くのよ、かわいいものじゃない。日本で言えばただの高校生が爆音で音楽流して部屋にいたらと思えばいいじゃない、それだったら、それだったら、怖いわ。
深呼吸してもう一度部屋に入る。今度は爆音が蚊の音かと思うくらい下げて、僕を見てひそひそ言っている。
事前にネットで確認していたのだがスイスは日本となんとなく文化が違うらしい。治安も日本と同じくらいよく、我関せずというか空気を読む感じがちょっとあるらしい。そんなわけでビビりながら彼らにそこはかとなく親近感を持ってしまった。
翌日は眩しいくらいな快晴でアイガーの壁は雪で輝いていた。起きるとスイスっ子達はもうスキーにでかけてしまっていた。
ユースホステルだったが朝食付きにしたので、ブルーベリージャムをヨーグルトにいれたものと、チーズとジャムをたっぷりつけたパンを堪能した。酪農大国だけあって美味い。
なんだか優雅な気持ちになってきた。最初のオランダが嘘みたいだ。
スキーをしよう
日本語観光案内所に行くと普通に日本人の方が出てきて、スキーがしたいことを伝えると親切にどこでウェアのレンタルができるか教えてくれた。リフト券は案内所で購入できた。
ウェアとスキー板を借りにいくと慣れた対応でサイズを測ってくれた。よくみるとグリンデルワルドのあちこちに日本語があるのだ。相当日本人観光客が多いことがわかる。
ここで一つ問題が起きたのだがクレジットカードが使えなくなった。複数の国をまたぐ時はクレジットカードは本当に便利でいちいち両替をしなくて済むのは助かった。5カ国を跨ぐとなるともちろんその国ごとの両替は多少はするが頻繁にしなく良いからだ。
仕方なく現金を使ったが理由はどうやら限度額を超えてしまったかららしい。元々学生カードで限度額は20万程度しかないのだが、この旅では既にそれだけ使ったことになる。
航空券を合わせると40万以上使っている。今回のお金の大半は親に借りたのだがこれには今でも感謝している。社会人になってからもボーナスが入る度に少しずつ返している。
リフトまで歩いたがこの道程が坂道なので結構キツい。板を抱えながら歩くとじっとり汗をかいた。その横を悠々とリフト行きの路線バスが通りすぎてアンニュイな気持ちになった。
ゴンドラに乗り込み15分ほどかけて中腹まで移動。ここから様々なスキーリフトに乗ることになる。着いて目に見えたのは文字通り白銀に輝く世界だった。
日本のスキー場はどこも混んでいるし、いかにもコースといった所が続いている。雪質も吹雪かなければ滑りづらいし、天気が良いとアイスバーンがほとんどだ。
僕が当初の予定からスキーを組み込んだのは何か旅をした後に他の人が中々しない経験をしたかったからだ。
海外でスキーって響きに憧れてた。その憧れがここにある。日本のようなあからさまなコースではなく大自然を滑るのだという感覚。最早どこまでが滑っていいところなのかわからないくらいだ。それだけに圧倒的な広さだった。
スキーは元々小学生の頃からやっていて日本の上級者コースもおぼつかないながらも滑れる腕前だったので多少の自信があった。これは凄い経験になる、その確信をくれるほどアイガーの山々は眩しかった。
さて、雪質やコースについて伝えたが海外のスキーが日本と違う所をお伝えしたい。
まず滑走距離、これがとてつもなく長い。まだ終わらないの?というくらい長いので足がつかれるくらいだ。100m置きに救難小屋があることを言えばその広大さを伝えられるだろうか。つまり遭難したらそれだけやばいくらいに広いのだ。
そして標高が高すぎるせいかわからないが物凄く暑い。雲という雲がなくゴーグルやサングラスがなければ目が焼けてしまう。それもあってびっくりするくらい汗をかいてまた喉が乾くことがしばしばあった。日本のスキー場でカラカラになるほど喉が渇いたことがないのでぜいぜい言いながら水を買った時の旨さは格別だった。
スキーヤー達も外で昼ごはんを食べているのが普通だった、それくらい暖かく暑い。
(ハンモックチェアーに揺られながらアイガーの山々をのんびり眺めて休憩)
危機管理やウインタースポーツの意識も違った。まずスノボーダーはほとんどいなかった。これは海外だと珍しくないのだがある意味当然とも言える。これだけ広大なスキー場だといちいちプロテクターをはずさないといけないボードだと移動がとてつもなく大変になる。板をいちいち外さず移動しやすいスキーになるのも当然と言える。僕はスキーもボードも両方滑れるが個人的には滑っている時もスキーの方が安全な気がする。小回りがきくぶん障害物も色々と対処しやすいのだ。
また帽子をつけている人も一人もおらず皆がヘルメットだった。それだけ危険があるスポーツなのだと実感したが、そりゃこんだけ広くてスピードを出してガンガン滑ってたら必要になるのも当然である。ちなみに僕はゴーグルは持参できなかったのでサングラスで滑っていたがサングラスも1割り程度で皆がゴーグルだった。これもまぁ当然といえば当然である。
そして小学生くらいのスイスっ子達の滑りが早いこと早いこと。僕はそもそも滑りが早い方ではないのだが10人くらいの子どもたちに立て続けに抜かされたときは流石に悔しくなった。
10分ほど追いかけたが追いつけなかった。10分猛スピードで滑ってふもとに着かない広さにもびっくりだが。
とにかく楽しかった。
旅の出逢いをしよう
ユースホステルに戻ると日本人の旅行者がいた。
聞くと大学2年生の娘さんとお母さん二人で旅行中だという。
これまでのお互いの旅の話をしながら談笑した。二人も英語もできないながらもお母さんの肝っ玉の太さで色々乗り越えてきたらしい。こういう旅もいいかもしれないなと思った。
話のお礼ではないが持っていた芋けんぴをあげた。僕の母に持たされたものだが正直食べる場面が全くなかったので女性二人にあげたほうが有意義だと思った。
実際大いに喜んでくれてお返しにお菓子を大量にくれそうになったので丁重にお断りした。これ以上荷物を増やしたくないのもあったし...。代わりにあめ玉をいくつか貰った。なんだか親戚のおばちゃんと話てる気分になった。
(夕飯はチーズフォンデュ。味がない)
二人はスキーはせずにアイガー頂上のフィルスト展望台に行くという。これはリフト券だけではいけず、往復料金だけで7,8000円もしたので自分は諦めたのだった。ちなみに二人には翌日スキーの途中でたまたま出会った。アイガーの山々を登るにはゴンドラ以外にも列車の手段があるので途中までフィルスト展望台行きの列車で登ったのだった。
にこやかに談笑途中に車掌がおまえ金払ってないだろ、あとで払えよと言われてびっくりして途中のスキーコース頂上駅で急いで二人に別れを告げて降りて逃げた。結果をいうと車掌は展望台に行くと思い込んで料金をはらえと言っていたのだが、慌てたあまり停車駅のレストハウスの奥に逃げ込んでしまった。くつろいでた人が何事かと見ていたので恥ずかしかった。
またユースホステルではもう一人忘れられない出会いがあった。二日目から泊まり始めたスイス人である。
彼の名前はセント~なんたらと確か15文字以上もありやたらと長く、短く何と呼べばいいと聞くとそのまま呼べと言ってきた。じゃあ代わりに僕はヒロでいい、ショートだろ?とドヤっというと二人で爆笑した。
彼は陽気な40代くらいの男性でにこやかにかなりの勢いで僕に話しかけてきた。どこから来たんだ、ここで何をしているんだい、とか。
なぜこの彼が忘れられないかというとグリンデルワルドに来たのが自分の死に場所を見つけるためだと言い出したからだ。
驚いた僕に彼は続けた。僕はこれまでいろんな国や場所で仕事とかいろんな人にあってきた、でもやっぱり腰を落ち着けて故郷と呼べる場所をつくりたい。そしてそこで死ぬまで暮らしたい、そんな安住の土地を探しているんだ、そんなことを言ったのだ。
自分が将来死にたい場所なんて考えたことがなかった。自分はいずれただのたれ死ぬんだろう、でもその時は少ない夢をいくつか叶えられたらいい、そして病院のベッドで苦しみながら死ぬと思っていた。でもちゃんと終わりを考えながら生きる人がいる、自分の人生でそんな人は初めてだったので衝撃だった。
僕もあなたのようになりたいと拙い英語でいうと彼はおどけながらも真面目に僕のような人生はやめた方がいいよ、と言った。あるときは清掃員、あるときはベビーシッターをやったりした。ベビーシッターをやったときは僕は何もしてないのに急に赤ちゃんが死んだ、すると家族に本当にピーナッツを投げつけられて逃げてきた。決していい人生だったわけじゃない。奥さんもいたけどもう逃げられたし、家はスイスにあるけど半年以上もどってない。だからちゃんとこのグリンデルワルドが僕が住むにいい街だったか見てるんだよ、と。
この街には1周間ほど見て回るという。違ったらまた移動する。それで十分なのだそうだ。これを3年も繰り返してるらしい。
「スナフキンか」と心のなかで軽くツッコミながら握手をして終わった。すごい出会いだった。ただ彼の話はとてつもなく長く1時間以上話し込んでしまった。半分以上の彼の英語がわからないのに話し込んだとはこれ如何に。
ちなみにその夜、同じ部屋のおばさんはこれでもかというくらい隣のベッドのセントおじさんに話しかけられてた。うんうん、とかったるそうに返してた。
気持ちはわかる。うるさいのだ。
しかし旅で一期一会の出会いがあるというのはやはり嬉しかった。
(続けー)