(僕独1) 僕はこうして独りになった〜Put into the water.〜
「学生のうちに行っておいた方がいいよ!」
大学4年、卒業が近くなってきた頃の話。
学生最後の冬に周りの人間が急にこんなことを続々と言い出すようになった。
海外に好きに行って周れる機会は学生のうちしかないのだという。
卒業旅行は海外旅行に行くべきだとは時代錯誤もかくやのごとく不思議な価値観である。
だがその気持ちはよくわかる。
その頃の僕はやっとの思いで審査が厳しいゼミの卒論を出し終えたばかりだった。
「卒論出せないってことは内定取り消しだねぇ(ニヤニヤ)」と同級生や先生や先輩や後輩に毎日脅され、心身ともにボロボロの状態で海外旅行なんて考える暇がなかった。
海外に行け、とまず最初に言い出したのは親である。兄も言い出した。祖母も言い出した。
僕と同じく今年する卒業するサークルの知り合い達も次々と卒業旅行に行ってきた報告をSNS上で繰り広げる。
ふざけんなYO、会社って言っても取って食われるわけじゃあるまいし、どうしても行きたくなったら会社やめてでも行ってやるさ!そんなことを思ってた。この考えは当時でもあまり現実的でない。
とは言え、僕も結局のところ降参した。
「絶対学生のうちに行っておいた方がいいですよ!」
新社会人になるための住宅探しの最中にも不動産屋がそう言い放った。
いやそんなこといいからちゃんと物件説明してよ、と思った。
だが「そろそろ契約印押しちゃおうかなー」とか考えてる所謂“鴨”の前で赤の他人がわざわざ余計なことを言うとも思えなかった。
この考え方からして僕の当時のネジ曲がった心情は見て取れると思う。
最後にこれから入社する会社の先輩も同じことを言ってきたあたりで僕も音を上げた。
なんなのブームなの?流行ってるの?行かなきゃ死ぬの?と最初の頃の気持ちはもう海外旅行に行かなかればという謎の使命感を植え付けられたことによって消えてしまった。
大学4年1月下旬にこうして僕は卒業旅行として海外に行くことを決めたのだった。
いやぁあまりに周りが示し合わせたようだったので正直ビビった。
じゃあ海外旅行に行こう
さて、そうと決まったら行き先を決めなければならない。
前述したとおり僕はかなり疲弊していたのでなんかゆっくりしたいと思った。しかしせっかくなのでこの機会に色々な国も回っておきたい。
そこでふと、
『電車の中でボーっとしたいかもしれない』
と思った。
2週間程度で電車で色々な国周れるとしたらどこだろうか。
中国、オーストラリア、アメリカと大きな鉄道はあるが複数の国にはあまり跨いでいない。
そこで行き先は自ずと絞られた。おわかりだろうか、ヨーロッパである。
次に適当に先進国っぽい国に絞ることにした。
途上国は物価が安かったり面白かったという意見も以前友人から聞いたことがあるが、僕はそもそも海外旅行経験がほぼない。
何かあった時にちゃんと治安がよく誰かに頼れた方がいい気がした。
そういう意味で先進国っぽい所にした。当時のこの考え方は大分頭が悪いと思う。
ちなみに海外旅行経験は4歳か5歳の頃にタイに1回、大学2年の時にサークルでポーランドへスタディツアーに行っただけである。
ポーランドは旅程のほとんどを人任せにしていたのでお荷物感が半端無かった。
帰りの飛行機に乗る前に皆が気ままに免税店を覗いてる時にいつの間にか一人になってしまったので危うく帰れなくなる!と泣きそうになったくらい人任せだった。
仲間をさがそう
次に友人を誘った。
だが1月下旬ともなるとほとんどの学生は卒業旅行の計画をほぼ立ててしまっていて誰も見つからなかった。
自然とああ自分って友達いなかったんだな、と虚しくなった。
いや正しくはいるのだが皆が皆旅行に興味ない連中ばかりだった。
なんだおまえら引きこもりかよ!とも思ったが数週間前までは自分もそうだったのだから何も言えない。
友達ってやっぱり似たもの同士が集まるものなのかもしれない。
とはいうものの一人見つかった。乙くん(仮称)である。
乙くんも誰かと海外旅行に行けたらなーと思いつつも特に行動に移していなかったらしいので運が良かった。もっと言うと海外旅行には何度か行っているらしい。
それも運が良かった、道中頼りまくれる(おい)
漠然とヨーロッパの先進国となっていた行き先も、具体的に決めた。
僕は世界遺産に興味がなく、飯と街の雰囲気が味わえればよかった。反して乙くんに至ってはモン・サン・ミッシェルに一度行ってみたかったという。
やっぱり一人より二人である。自分にない発見ができそうだ。
目標を決めよう
ひとまずざっくり決めた予定が以下である
今回の旅の目標
・オランダでビールを飲む
・イギリスで紅茶とビールを飲む
・ドイツでビールとソーセージを食う
・チェコでビールを飲む
・フランスでモン・サン・ミッシェルを見てワインを飲む
・スイスでevianを飲む(&汲んで来る)
食い倒れ、いや飲み倒れ紀行だった。ちなみに僕と乙くん、どちらの希望がふんだんに盛り込まれているかは言うまでもない。
ちなみにスイスでevianを汲もうと思ったのはある「ガキの使いやあらへんで」で浜田雅功が罰ゲームでやらされていて楽しそうだったからだ。実にくだらない。
準備をしよう
次に旅の準備をした。
カバンは色々なところを周ることからキャリーバッグでは大変なのでバックパックを新たに購入した。シャンプーやボディソープ、着替え、地球の歩き方なども購入・用意
さらにチケットの手配では航空券、ヨーロッパの鉄道に乗り放題になるユーレイルパス、オランダからイギリスへ渡るためのフェリーのチケットなど色々申し込んだ。
このへんでかなりクタクタになってきた。
何しろ新社会人としての準備も色々あるのである。新居の家具も用意しなければならかったし。
そうこうして出発一週間前になった。すると乙くんから電話。
そういやこいつ何にも準備してなくね?と小さく心のなかでボヤきながら電話にでる。
「はい」
「ごめん、海外いけなくなった」
「は?」
「本当にごめん、じゃあ」
切られる電話。衝撃だった。
何も考えず速攻でリダイヤル。しつこくした結果電話に乙くんが出る。
ふざけんな、僕が一人で海外行って生きていけると思うなよ!うさぎより寂しがりの僕を舐めんなよ!と恥も外聞もなく情けないことをまくしたてた。
落ち着いてから事情を聞くと入社前のIT試験の調子がよくなかったらしい。
3月にもう一度受けて結果を残さねばならないという。
そんな試験落としちまえと思ったがそれはあくまで僕の事情によるものだけなので、当たり前だがそこで電話は終わった。
困難に立ち向かおう
諦めきれなかった僕はひとまずそのIT試験に受かったことある知り合いにあたって家庭教師を頼んだ。
5万と破格の家庭教師代を出すことになったが、どうせチケットのキャンセル料を払えば同じような金額を払うことになるのでキャンセルして無駄金を出すより、旅行に行って家庭教師代を払ったほうが有意義というものだ。
そこまで頑張ったこともあってなんとか乙くんとの海外旅行の約束をもう一度取り付けることができた。
そして出発前日。
2週間の滞在だが、ホテルの予約は色々あって3日分しかとれなかった。あとは向こうで考えてホテルを取ればよいだろう。一人なら不安だが二人ならなんとかなる気がする。
するとまた乙くんから電話。
明日の確認かな?それともお前またゴネ出すんじゃないだろうなぁゴラァと期待と怒りを膨らませながら電話にでる。
「やっぱり行けない」
「(またか)なんで?」
「最近精神的にやばくて何か今日も3回も吐いちゃって病院行ってきた」
「...へ、へー」
その後は正直何を話したか覚えてない。
そっかぁ!じゃあ無理そうだね!いいよいいよやっぱりきついよね、入社前の不安とかあるしさ、いや全然っ!ほんとっ気にしなくていいから、おみやげとか買ってくるね!とかそんなこと1人で5分ほど言った気がする。
親がなんだなんだと部屋に来る。
やっぱり頭おかしかったうちの子は、と心配そうな顔。
頭がぐるぐるしてきた。
え、んで、一人で海外?
何も下準備してないのに?
ホテルの予約は3日目までしかとってないよ?
英語できないよ?
というか飛行機ってどうやって乗るんだっけ?(え)
そんな中、親が明日どうすんだ、と聞いてきた。
「.....................................行くよ」
この時僕が行くのを決めたのはチケット代がもったいなかったからにほかならない。
己の貧乏性が恨めしい。
後にこう語る彼、実に2008年の2月春のことであった(*その時歴史が動いた)
(続く)
クリスタルガイザー派です。